願興寺(岐阜)・薬師如来御開帳

今年の春、可児郡御嵩にある願興寺を参拝してきました。
願興寺を参拝するのは数年ぶりになりますが、今回一番の目的は、本尊である薬師三尊の特別開帳です。

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前日宿泊した名古屋市内から名鉄に乗り、御嵩駅へ。

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駅の改札を出るとすぐ、正面に願興寺の山門が見えてきます。

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あいにくの雨模様でしたが、久しぶりの御開帳、しかも一日のみとあって、境内は多くの参拝者で賑わっていました。

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収蔵庫の前には既に長い長い行列ができており、私も期待に胸を躍らせながら列へと並びました。
40~50分ほど並んだところでしょうか。
やっと順番が来て中へ入ってみると…

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(⇒願興寺HPはこちら)

いつもは閉じられた厨子の扉が開かれ、その中に端正な薬師様が坐っていらっしゃいました。
いわゆる定朝様の流れをくみながらも、お顔だちはやや力強く、単なる模倣に留まらない仏師の個性が感じられます。

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(⇒願興寺HPはこちら)

脇侍の日光・月光菩薩の像高はいずれも206cmほど。
素地仕上の本尊に対し、脇侍は漆箔仕上げのため、もともと三尊一具であるかについては諸説あるようです。
願興寺は他にも二十数体もの古仏が伝えられており、そのほとんどが重要文化財の指定を受けています。
これほどまでに優れた仏像が多数伝えられているお寺は全国的にも稀有でしょう。
通常拝観可能な仏像だけでも十分素晴らしいのですが、やはりそこにご本尊が加わることで、堂内の空気はより一層厳かで濃密なものに感じられました。

2015.4.5
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明善寺(岐阜)・白川郷の古刹



高山から早朝のバスに乗り、世界遺産・白川郷へと向かいました。
近年全線開通した東海北陸自動車道を走ること約40分。
白川郷集落付近へと辿り着きました。
ゆらゆらと揺れる長い吊り橋を渡り、集落の中へと入ってゆきます。



やがて合掌造りの家が姿を現し、ハッと息を飲みました。
建ち並ぶ家々の屋根にはこんもりと雪が積もり、まるで砂糖菓子のようです。



こちらは白川郷を代表する建築物のひとつ、明善寺。
お寺の創建などの詳細は不明ですが、鐘楼門は享和元年(1801)に飛騨の匠である加藤定七によって建てられたもので、県の文化財の指定を受けています。
風情ある白川郷の中でもひときわ目を引く建築物です。

 (本堂)

 (庫裏)

明善寺の庫裏は高さ15m、建物面積は100坪。
江戸末期の建築物で、白川郷で最も大きな合掌造りなのだそう。



村の一画にお地蔵様がいらっしゃいました。
雪深い場所のためか、石の祠にお祀りされています。



周辺を散策したあと、少し離れた所にある展望台へ歩いて向かうことにしました。
ほとんどの人は巡回バスを利用するため、周囲には誰もいません。



木の枝には雪が積もり、まるで白い花を咲かせているかのようです。

ふと空を見上げると、花びらのようにひらひらと雪が舞い、白い雪景色の中へと消えました。
時間と共に舞い散る雪の勢いは激しくなり、あたりは白い雪でかすんで見えます。
やがて展望台へ辿り着き、麓の村を見渡すと…。



しんしんと降る雪に周辺の音が吸収され、全てが白というイメージに収斂されてゆく。
息を飲むような美しさも、時に人の命をも奪う圧倒的な厳しさも、それぞれに自然が見せる真実の顔なのでしょう。

2013.1.20

飛騨国分寺(岐阜)・円空仏を訪ねて(2)



円空仏を辿る旅、飛騨国分寺を次に訪ねました。
豪雪の降る厳しい自然と痩せた土地のためか、平安後期にいたるまでの飛騨国の詳細は文献にほとんど残っていないようです。
ただし奈良時代に高山の地に国分寺・国分尼寺が建てられていたことから、古くからこのあたりが重要な地であったことは間違いありません。
江戸時代に円空もこのお寺を訪れているはずです。



お寺の奥さまにお堂の中へと案内していただくと、中央の厨子には平安期の薬師様、その横に美しい観音様がいらっしゃいました。

  
(⇒高山市HPより)


薬師様の像高は145.7cm、檜の一木造。
キリッとした凛々しいお顔だちに堂々とした体躯、とても威厳のあるお姿です。
向かって右横にいらっしゃる観音様は像高204.0cmで、檜の一木割矧造。
高い腰に流麗な衣を纏っておられ、その美しい立ち姿に、しばし時間を忘れて見惚れていました。

お寺の方に案内していただき、さらにお堂の奥へ行くと…。

中央には弁財天が祀られている厨子が据えられており(※特別展出展の為この日は拝観できず)、その横にある小さな厨子の中には、実に可愛らしい薬師三尊が安置されていました。

  弁財天(⇒飛騨国分寺HPより)

弁財天、薬師三尊ともに円空の作であると伝えられています。
こじんまりとした顔の目や鼻は細い線描で彫られており、幼い子供のような、素朴な愛くるしさに溢れていました。

薬師如来の像高は小さく、20cm前後でしょうか。
もしかしたら中央の弁財天を彫る際に出来た木片を利用して彫られたのかもしれません。
生涯に12万体の仏像を彫ることを誓願したという円空は、時に木屑を利用して、おびただしい数の小さな仏を彫り、その土地の民たちに配ったと伝えられています。
彼にとっては、木の一片一片に至るまで、崇高な仏の命が宿っていたのです。






お参りを終えて境内を歩いていると、不思議な一画に辿りつきました。



飛騨地方で古くから作られている人形、「さるぼぼ」です。
飛騨弁で「猿の赤ん坊」という意味を持ち、お守りとしても使われているのだとか。
素朴な可愛らしさを持つ「さるぼぼ」、もしかしたら円空も目にしていたのかもしれませんね。

2013.1.19

飛騨国分寺(岐阜)・円空仏を訪ねて(1)

雪の降りしきる飛騨へ行きたい。

場所は都内の博物館、江戸時代の仏師・円空の仏像展を見に行った時のことです。
室内に展示されている仏像の多くが、国は勿論のこと、地方自治体の文化財指定さえ受けていないにも関わらず、会場は沢山の人で賑わっていました。

数センチ程度のものから、2~3メートルに達するものまで、仏像の大きさは様々ですが、共通しているのは、そのほとんどの像が彩色を施されておらず、美しい木肌を見せていることでした。
材質は桧でしょうか、いずれも飛騨高山の材木で造られています。
切り倒した木の生命を一気に像の中へと閉じ込めるかのように、荒々しくノミで彫り上げるその技法は、素朴でありながら、驚くほど繊細な美しさをも併せ持っていました。
自然の厳しさ、畏れ多さを感じさせる、崇高な美。
仏像を前にして、ふと浮かんで来たのは、真っ白な雪に覆われた飛騨の山々でした。

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吐く息が白く染まる1月の早朝、新宿から高速バスに乗り、飛騨高山を目指しました。
6時間ほどの長距離移動です。
諏訪湖SAで休憩した後、連日残業続きだった仕事の疲れのせいか、本を開いたまま、うとうとと眠りに落ちていました。
高山市の平湯温泉に着き、車内のアナウンスで慌てて目を覚ますと…。



窓の外を見やると、周辺は見渡す限り真っ白な雪で覆われていました。
太陽の光を受けてパウダー状の雪がきらきらと輝く、文字通りの白銀の世界です。



やがてバスは高山駅へ到着。
ひらひらと白雪が舞い散るなかバスを下りると、想像していたよりずっと温かいことに気付き、不思議な驚きを覚えました。



江戸時代には城下町として栄えた高山の街は「飛騨の小京都」とも呼ばれており、今も古い街並みが残されています。



憧れの円空仏を求め、まず最初に飛騨高山まちの博物館を訪れました。
高山の文化財や歴史的資料が展示されているこの博物館、なんと入館無料です(※平成25年1月時点)。
お目当ての円空仏は館内の2階にひっそりと安置されていました。

円空(1632年~1695年)は、江戸時代前期に全国を旅して仏像を彫り続けたことで知られる、美濃国出身の行脚僧です。
その作品のほとんどは、鉈彫りと呼ばれる、木を鉈(実際に使われているのはノミ)で削ったような、荒々しい彫り痕を残す技法で彫られています。
類まれな情熱の人であった円空は、生涯に12万体の仏像を彫ることを誓願したと伝えられ、現在でも約5000体が確認されているそうです。
何とその作品が残されている範囲は、北は北海道、南は関西地方にまで及ぶとのこと。
歩いて全国を巡ったその道中は困難を極めたに違いありません。
なかでも出身地である東海地方には多くの円空仏が残されており、岐阜県内だけで1000体以上に達するといいます。

 (⇒飛騨高山まちの博物館HPより)

こちらで展示されていたのはいずれも数十センチほどの小さな円空仏でした。
観音像の他にも、牛頭天王や烏天狗など、一般的には作例の少ない神様、仏様たちが並んでいます。
現代の目を通しても、その斬新な造形に息をのむばかりです。

小さな木片から数多の不思議な神様や仏様が生み出されてゆく…。
飛騨の雄大な自然の中のあちこちに、円空は神や仏の存在を見出していたに違いありません。

(つづく)

乙津寺(岐阜)・甲冑を纏った韋駄天

岐阜市にある乙津寺は、地元の人々から鏡島弘法と呼ばれて親しまれているお寺です。



昔々、嵯峨天皇の勅命を受けた空海は、乙津島という孤島へ赴きました。
空海が龍神に鏡をかざしたところ、あたり一面の蒼海が桑田に変わったため、この地は鏡島と名付けられたと伝えられています。



拝観のお願いをしてお堂の中へ。
堂内の中央には本尊の千手観音、両脇に毘沙門天、韋駄天が安置されていました。
いずれも国の重要文化財の指定を受けています。

中でも特に印象深かったのは韋駄天です。
(岐阜市HPの写真はこちら)
像高78cmで鎌倉時代の作。
韋駄天は走力に優れ、邪神を速やかに除く力を持つとされている神様です。
あまり造像例は多くないため、これほど古い時代の大きな像を拝するのは初めてでした。
甲冑を身に纏い、合掌した両手で宝剣を捧げるお姿は、とても凛々しく見えます。

1945年の空襲により、乙津寺は伽藍のほとんどを焼失してしまいました。
仏像は近くの長良川に運び出され、かろうじて難を逃れたそうです。
幾多の困難を乗り越え、こうして今も私が尊像を拝することができるのは、守り続けた沢山の方々がいらっしゃるからなのだと強く感じました。

2011.4.18