仏像ファン的古寺巡礼

仏像への愛を書き綴った、仏像ブログです。

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ちー

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豊財院(石川)・三体の観音像 2012-02-25-Sat



北陸の旅、最後の目的地である羽咋市の豊財院へ。



豊財院は、鎌倉時代に瑩山紹瑾が能登初の禅修業の場として開創したと伝わる、曹洞宗の禅寺です。
石川県屈指の古仏が安置されていることでも有名で、数年来ずっと参拝を夢見てきました。
憧れの対面に胸が高まります。
拝観のお願いをして、収蔵庫の重厚な扉が開かれると…。



中にいらっしゃったのは、見事な三体の観音様たちでした。
(⇒石川県HPの写真はコチラ)
向かって左から、十一面観音、聖観音、馬頭観音。
いずれも檜の一木造で、像高は170cm前後。国の重要文化財に指定されています。
元は羽咋市志賀町矢駄の観音堂に安置されていましたが、江戸時代に豊財院へ移されました。

重厚感ある一木造ながらも、衣文の彫りが浅いこと、顔立ちが穏やかであることなどから、藤原前期頃の作と推定されています。
全体的に体躯は豊満で、特に顎には豊かな肉が蓄えられており、むちむちした肌の質感が伝わってくるようでした。

中でも特に心を惹きつけられたのは、向かって右端にいらっしゃる馬頭観音様。
頭上に可愛らしい馬頭を頂き、忿怒の表情で前方を睨みつけ、6本の腕をバランスよく伸ばしています。
馬頭観音の造像は少なく、重要文化財に指定されている像は全国でも6体のみとのこと。
豊財院の尊像は特に造像年代が古いため、とても貴重な作例とされています。



3日間にわたる北陸の旅もこれで終わり。
台風などで予定の大幅な変更を余儀なくされたものの、最後に憧れの仏様たちにお会いでき、満たされた気分で空港へ向かったのでした。

2011.9.21

次回からは北陸の旅・特別編として、ハニベ巌窟院編です
雰囲気がガラリと変わりますよ〜(笑)

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正覚院(石川)・藤原期の阿弥陀如来 2012-02-20-Mon

龍護寺を出発し、羽咋市の正覚院へ。



レンタカーのナビで辿りついた先には、とても大きな鳥居が建っていました。
能登国一宮である気多大社の大鳥居です。



目指していた正覚院の入口は、その気多大社のすぐ横手にひっそりとありました。



現在の正覚院は真言宗のお寺ですが、元々は気多神宮寺の一院として創建されたそうです。
そのためこちらのお寺には、明治期の神仏分離の際に気多大神宮寺から移されたという、藤原期の阿弥陀如来坐像が伝えられています。



阿弥陀様はこちらの立派な収蔵庫に安置されていました。
(⇒石川県HPの写真はコチラ)
像高110cmで檜の寄木造。
かつては気多大神宮寺の講堂の本尊であったというこの尊像は、実に洗練された作風で、中央仏師の作であることを窺わせます。
きめ細かい螺髪、端正なお顔が美しく、能登一宮の神宮寺に相応しい、優美な気品に満ち溢れていました。



阿弥陀様をお参りした後、気多大社をお参りしました。



境内には拝殿、本殿など、重要文化財の建物が建ち並び、一宮の格式を十二分に感じされてくれます。
現在は縁結びの神社として、人気が高いようですよ

2011.9.21

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龍護寺(石川)・風車のまちの薬師如来 2012-02-14-Tue

北陸旅行最終日の平成23年9月21日、巨大台風が日本列島に上陸していました。
吹き荒ぶ風雨のなか、レンタカーで能登半島最北端へ。
時折ハンドルを取られそうにながらも車を走らせていると、突然目の前に飛び込んできた光景に愕然としました。

なんと土砂崩れで木が倒れており、道路の車を直撃していたのです。
(※運転していた方は救助されてご無事でした)
あと少し通りかかるのが早かったら…!
思わずぞっとしました。
やむなく引き返し、予定を大幅に変更することに。



台風は時間とともにますます勢いを増してゆきました。
鼠色の雲が激しい雨を田畑に降らせ、ごうごうと風は唸り、まるで空全体が凄まじい怒りに満ちているかのようでした。

稲にとって何よりも大切な存在である水。
その水が今は稲に襲いかかり、激しく揺さぶり続けているのです。
暴力的なまでに田畑に叩きつけられる雨を見て、ふと思い出したのは、その前日に拝した日石寺の不動明王のことでした。

なぜ日本人は忿怒の不動明王を篤く信仰してきたのか。
豊かな恵みをもたらすと同時に圧倒的な厳しさを持つ大自然に、日本人は不動明王の偉大さを重ね合わせたのではないだろうか。
荒れ狂う空の下で車を走らせていると、自然を深く崇拝してきた古の人々の気持ちが、スッと理解できたように思えたのです。



能登半島のちょうど真ん中あたりまで引き返し、志賀町の龍護寺へ向かいました。



お寺付近へ辿り着いたものの、なかなか正確な位置がわかりません。
しばらく右往左往していたところ、巨大な風力発電の風車が現れました。
海近くの高台にあるこの場所は、海風が強く、風力発電に打ってつけなのでしょう。



目指していた龍護寺は、その風車から程近い丘の中腹にありました。



拝観のお願いをして本堂へ。



中にいらっしゃったのは見事な一木造の薬師如来様でした。
像高120cmで平安中期の作。
石川県の文化財に指定されています。
かつては酒見の少彦名神社の本地仏であったと伝えられていますが、明治期の神仏分離の際、こちらの龍護寺へ移されました。



への字にキュッと結ばれた口、少し開き気味の小鼻が実に個性的で、不思議な可愛らしさを持つ薬師様です。
むっちりとした体躯は、いかにも一木造らしい重厚感に溢れています。

ざあざあという強烈な雨音が聞こえるなか、堂内で静かに佇む薬師様を、しばし時間を忘れて見入っていました。

2011.9.21

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那谷寺(石川)・奇岩の庭園 2011-12-28-Wed

温泉寺を出発し、小松市の那谷寺(なたでら)へ向かいました。



白山信仰の寺である那谷寺は、養老元年(717年)に泰澄神融禅師が創建したと伝えられている古刹です。
後の986年に花山法皇がこの地に御幸した折、西国三十三所霊場の一番・那智山と三十三番・谷汲山の各一字をとって、寺の名を那谷寺と改めました。



そしてこの那谷寺で特に有名なのが、奇岩遊仙境と呼ばれる庭園です。
太古の噴火の跡が長年の風雨にさらされた結果、現在のような不思議な形状の岩肌が出来あがったと言われています。



こちらは本殿。
舞台造の建物で、国の重要文化財に指定されています。



さらに進むと三重塔が見えてきました。
扉や壁に獅子や菊花などの美しい彫刻が施されています。
中には堂々とした胎蔵界の大日如来様がいらっしゃいました。



高台に立って周辺を眺めると奇岩の庭園が見えました。
なかなかの絶景です

2011.9.20

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温泉寺(石川)・温泉の街の観音像 2011-12-24-Sat

北陸で最大規模の温泉街のひとつである山代温泉。



数多くの観光旅館が建ち並ぶこの温泉街の歴史は、奈良時代に行基菩薩が白山へ向かう途中、霊鳥の指授により温泉を発見したのが始まりと伝えられています。



薬王院温泉寺は、山代温泉守護のために行基菩薩が創建したという伝説が残る古刹で、平安時代には明覚上人により七堂伽藍が建立され、長きにわたって温泉街の中核として繁栄を極めてきました。



私が温泉寺を訪ねたのは、このお寺に古くから伝わる、美しい十一面観音様にお会いするためでした。



像高167.2cmで平安期の作。欅の一木造りです。
元は大聖寺の神明宮・白山宮両社(現在の加賀神明宮)別当であった慈光院にお祀りされていましたが、後に有縁の薬王院へ移されました。
十一面観音は白山信仰の本地仏であるため、南加賀における白山信仰の遺品としても、非常に高い歴史的価値があるそうです。



一木造の重厚感あるお体は、むっちりとしていて、優美で官能的な魅力に溢れています。
キュッと小さく結ばれた唇、僅かにふせた眼差しは、いかにも本地仏らしい神秘的な雰囲気を漂わせていました。



観音様をお参りした後は、ゆっくりと温泉街を散策し、温泉卵をゲット!
とっても濃厚で美味でした

2011.9.20

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