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仏像ファン的古寺巡礼

仏像への愛を書き綴った、仏像ブログです。

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ちー

Author:ちー
読書と音楽、そして仏像をこよなく愛しています。

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唐人屋敷跡(長崎)・長崎ランタンフェスティバル 2018-01-20-Sat

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九州旅行第一日目、最後は長崎中華街へ。
江戸時代に鎖国令が発布されて以降、長崎では中国との貿易が独占的に行われていましたが、やがて幕府は唐人屋敷を建設して、そこに唐人達を住まわせるようになりました。
それらの建物は大火などで焼失してしまい、現在は四堂のみが修復改築されて残されています。

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訪れた日はちょうど長崎ランタンフェスティバルの開催中ということもあり、あちこちにランタンが飾られていました。
せっかくなので喫茶店でお茶を飲みながら夜まで待つことに。

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あたりが暗くなるとランタンが一斉に点灯され、街は暖かいオレンジ色の光に包まれました。

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少し開けた場所には、様々な趣向を凝らした人形が飾られています。

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こちらはメイン会場。
煌びやかな人形に囲まれながら、沢山の人が歌や踊りのイベントを楽しんでいました。

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手前は七福神の皆様、右端に写っているのは西遊記の登場人物たちでしょうか。
場所が中華街だけあって、中国にちなんだ人形が多いようです。

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夜が深まるほどに、ランタンは輝きと美しさをより一層増していきました。

2017.2.3

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崇福寺(長崎)・国宝建築の唐寺 2018-01-08-Mon

興福寺を参拝した後、そこから徒歩で10分ほどのところにある崇福寺へと向かいました。

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こちらは第一峰門で、国宝に指定されています。
長崎市には国宝が三つありますが、そのうちの二つがこの崇福寺の建物です。
崇福寺は興福寺、福済寺とともに長崎三福寺に数えられる古刹で、福建省出身の華僑たちが福州から招聘した僧・超然によって寛永6年(1629) に創建されました。
そのため福州寺とも呼ばれています。

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本堂の大雄宝殿です。
中国で切組みした部品を唐船で運び込み、正保3年(1646)に長崎で建てられました。
当初は単層の建物でしたが、延宝天和の頃に上層を加えて現在の姿となったそうです。
下層部が中国建築様式であるのに対し、上層部は和様を基調としており、大陸と日本の文化が融合した稀有な建築物として、国宝に指定されています。

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中央に安置されているのは釈迦三尊。
脇侍はお釈迦様の弟子・阿難と迦葉です。

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ご本尊の両脇には十八羅漢像が安置されていました。
どの羅漢さんも堂々として、とても個性的です。

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大雄宝殿の横には媽姐堂が建っていました。

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媽祖は中国沿海部で信仰された航海の神様で、航海安全を願う船主たちの篤い信仰を集めていました。
手前に立っている青い服を着た方たちは、向かって左側を千里眼、右側を順風耳といいます。
顔が怖いので鬼かと思いきや、お寺の方にお話をうかがったところ、なんと彼らは媽祖を守護する神様なのだとか。
もともと悪さばかりしていた二人でしたが、媽祖が改心させたことにより、その忠実な部下となったそうです。
この千里眼と順風耳の像は他のお寺にも安置されていたので、とても人気のある神様だったのでしょう。

2017.2.3

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興福寺(長崎)・菩薩揚げの唐寺 2018-01-02-Tue

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長崎三福寺のひとつに数えられる興福寺は、沢山のお寺が建ち並ぶ寺町の一画にあります。
壮麗な朱色の門が建っていることから、長崎の人々から「あか寺」と呼ばれて親しまれてきました。
興福寺は日本初の黄檗禅宗の唐寺で、かの有名な隠元禅師が中国から日本へ渡海された際、最初にここで居を構えたと伝えられています。
江戸初期の長崎は当代随一の国際港でしたが、なかでも中国からの来航者は圧倒的に多く、彼らの出身地別に沢山の唐寺が創建されました。
この興福寺は浙江省・江蘇省出身の信徒が集まったため、別名・南京寺とも呼ばれていたそうです。

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こちらは本堂の大雄宝殿。
寛永9年(1632)に建立されましたが、何度か焼失を繰り返し、現在の建物は明治16年(1883)に再建されました。
本尊はお釈迦様。
面白いのは脇侍が準提観音菩薩と地蔵王菩薩であることです。
あまり日本のお寺では見かけない組み合わせですが、南京周辺ではポピュラーだったのでしょうか。

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建物は中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国から運送されました。
こちらの複雑な細工が施された丸窓は氷裂式組子と呼ぶそうです。
大雄宝殿は中国南方建築の代表作として知られ、明治時代の寺院建築としては珍しく、国の重要文化財に指定されています。

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そして本堂の横にあるのが媽祖堂(まそどう)。

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(⇒興福寺HPより)

媽祖は中国宋代に福建省周辺で信仰されていた航海の守護神で、「菩薩」「天后聖母」とも呼ばれています。
長崎へ来航する唐船には必ず媽祖が祀られており、停泊中は船から揚げて唐寺の媽祖堂に安置していました。
これを「菩薩揚げ」といい、華やかな隊列をつくってお寺まで運んでいたそうです。

2017.2.3

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光雲寺(長崎)・渡来仏の釈迦如来 2017-12-30-Sat

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福済寺から市街地を通って15分ほど歩くと、大祭「長崎くんち」で有名な諏訪神社が見えてきました。
その諏訪神社のすぐ近く、川沿いにマンションやビルが建ち並ぶ一画に、曹洞宗の寺院・光雲寺があります。

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光雲寺は僧・行基が創建したと伝わる古刹ですが、天正2(1574)年にキリシタン大名の大村純忠が神仏両道を禁止したため、その時に堂宇は徹底的に壊されてしまったそうです。
江戸期に入り、曹洞宗の僧・松雲宗融がお寺を現在の場所に移して再興しました。
 
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御本尊はお釈迦様で、明時代の渡来仏とのこと。
国際的な貿易港であった長崎らしい仏様ですよね。

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像高はおそらく50~60cmほどでしょうか。
穏やかな表情に、ほっそりとした体つきで、とても優美な印象を受けます。

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お寺の方のお話によると、文殊・普賢菩薩様はその像容がお釈迦様と少し異なるため、元々は別の仏像の脇侍だった可能性が高いと考えられているそうです。

2017.2.3

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福済寺(長崎)・長崎観音 2017-12-14-Thu

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聖福寺を参拝した後、住宅地の中に続く細い路地を歩いていくと、大きな観音様が見えてきました。

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わわわ!
近づいてビックリ、なんと亀の甲羅の上に立っていらっしゃいます。
その名も長崎観音。
崇福寺、興福寺とともに「長崎三福寺」として知られる、福済寺の巨大観音です。

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福済寺は1628年(寛永5年)に建立された唐寺で、本堂等の建物は戦前に国宝指定を受けていましたが、残念なことに原子爆弾投下で焼失してしまいました。
この観音様は原爆被災者と戦没者の冥福を祈るため、1979年(昭和54年) にかつての本堂跡に造られました。

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よく見ると亀の細工も非常に凝っています。

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ん?
フーコーの振り子??
観音様の足元に不思議な看板が立ってたので、地下へ降りてみることに。

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地下にはとても大きな振り子が置いてありました。
金色に輝く、ボーリング大くらいの振り子が静かに動いています。

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説明によると、レニングラード、パリに続き、世界で三番目に大きい振り子なのだとか。
物凄いスケールの大きさですね。

2017.2.3

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