大林寺(大阪)・平安期の十一面観音

大阪のお寺巡りの最後に、松原市の大林寺を参拝しました。

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お寺までは近鉄の布忍(ぬのせ)駅から徒歩で5分ほど。
川沿いに歩いてゆくと、立派な山門が見えてきます。

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門の横には小さなお地蔵様たちがいらっしゃいました。
皆さん綺麗な胸当てをなさっていて、今も大切に守られていることがよく分かります。

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大林寺には平安期の十一面観音立像が伝えられていると聞き、事前にお願いをして拝観させていただきました。

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中にいらっしゃったのは、ほっそりして可憐な観音様でした。

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像高171.5cmで桧の一木造。
全体的に古様な表現が見られるものの、穏やかな面相、浅い彫りなどから、平安後期の作と推定されています。
もともとは明治6年(1873年)に廃寺となった永興寺(布忍寺)の本尊であったそうです。

想像していた以上の美仏にお会いできた喜びはもちろんのこと、お寺の方にはとても親切にしていただき、素晴らしい参拝となりました。
改めて心より御礼申し上げます。

2015.8.6

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専念寺(大阪)・三体の平安仏

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高槻市駅から阪急に乗って上新庄駅へ。
大阪市東淀川区の専念寺を参拝しました。

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境内の一画には大きな幼稚園が併設されており、あちこちから子供たちの楽しそうな声が聞こえてきます。

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まず案内していただいたのが本堂の脇にある建物で、中には立派なお厨子がずらりと並んでいました。

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向かって左は、智拳印を結ぶ大日如来坐像です。
一木造で12世紀頃の作と推定されています。
体の所々に漆箔が残っており、かつては全身が金色に輝いていたことがわかります。

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そしてその右側には十一面観音立像。
やはり一木造の堂々としたお姿です。
平安前期の仏像に特徴的な翻波の衣文が見られるものの、彫りはやや浅いことから、造像は大日如来坐像より少し古い、11世紀頃の作と推定されています。

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さらに本堂へと入ると、正面に本尊である阿弥陀如来坐像が安置されていました。
こちらも一木造で、体躯の表現などから、11世紀頃の作と推定されています。
これまで大阪市内のお寺はほとんど参拝したことがなかったのですが、これほどまでに優れた仏像が、しかも三体も伝えられていることに、驚きと深い感動を覚えました。

2015.8.6

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廣智寺(大阪)・多臂の観音像

少し前のこととなりますが、平成27年8月6日~8月8日の三日間、大阪、奈良、和歌山の三府県を旅してきました。
しばらくの間、この時の旅行記を書こうと思いますので、よろしければお付き合いくださいね。

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初日の8月6日は大阪府へ。
まず最初に参拝したのは、高槻市の廣智寺です。
JR高槻駅の周辺はショッピングビルやマンションなどが建ち並んでおり、沢山の人で賑わっていました。
ここからは徒歩でお寺へと向かいます。
ちょうど夏の盛り、ほんの少し道を歩いただけで、全身から汗が吹き出しました。

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地図を見ながら15分ほど歩いてゆくと、左手に長い階段があり、その奥に中国風の門が見えました。

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廣智寺は聖徳太子の創建と伝えられている古刹ですが、戦国時代に伽藍が焼失したため、1661年(寛文元年)に高槻城城主・永井直清によって黄檗宗のお寺として再興されました。

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お堂には巨大な魚の形をした木魚が釣り下がっていました。
黄檗宗大本山である萬福寺の木魚を彷彿とさせます(⇒拙ブログ記事はこちら)

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こちらが御本尊の観音様。
十一面観音立像と伝えられていますが、調査によりかつては腕が8本あったことが判明した為、不空羂索観音として造像された可能性が高いそうです。

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像高167.8cm、カヤの一木造。
眼差しはやや鋭く、唇はきゅっと結ばれています。
体躯はふっくらしていますが、腰の位置が非常に高く、とてもスタイルの良い観音様です。
戦国時代にキリシタン大名・高山右近が堂宇を焼き払った際、この観音様は村人たちによって運び出されて難を逃れたと言われています。

2015.8.6

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神宮寺感応院(大阪)・平安期の十一面観音

日帰り弾丸関西旅行、最後は大阪市の八尾市へ。

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近鉄の恩智駅から東へ向かって歩いて行くと、道路に立派な大鳥居が建っていました。
現在、道沿いには住宅が並んでいますが、かつてこの一帯は大きな神社の敷地内であったようです。

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駅から15分ほど歩いたところでしょうか、長い石段が見えてきました。
初夏の陽気もあり、登っていると額から汗が噴き出してきます。

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苦労して階段を登ると、河内二宮と伝わる恩智神社の社殿が建っていました。
恩智神社はの歴史は古く、雄略天皇の時代(470年頃)に香取神宮(現・千葉県)から天児屋根命を勧請したのが始まりと伝えられています。

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そしてその恩智神社から石段を少し下ったところにあるのが、神宮寺感応院です。
その名の通り、かつては恩智神社の神宮寺として栄え、明治期の神仏分離令までは神社の境内に位置していました。

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こちらのお寺には、平安期の十一面観音立像が伝えられているため、事前にお願いをして拝観させていただきました。

8.jpg (⇒八尾市HPはこちら)

像高108cmで桧の一木造。
目鼻立ちはこぶりで、華奢なお体をなさっており、非常に可憐な印象を受けます。
お寺のある恩智地域が母木(おものぎ) の里という名であったことから、この観音様は母木観音と呼ばれて親しまれているそうです。

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高台にある境内からは、その母木の里が一望できました。

2015.6.20

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慈尊院(和歌山)・弥勒仏御開帳

叡福寺参拝のあとは、河内長野市の観心寺へ。
4月17日と18日の年に二日だけ開帳される国宝・如意輪観音像を5年ぶりに拝しました。
妖艶な如意輪観音像に魅せられた後は、国道371号線を通って南下し、和歌山県へと入りました。

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やがて見えてきたのは美しい紀の川です。

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この紀の川が高野山の麓を流れるあたり、和歌山県の九度山町というところに、女人高野と呼ばれる慈尊院があります。

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慈尊院の創建は、弘仁7(816)年に弘法大師が高野山参詣の表玄関として、この地に伽藍を草創したのが始まりと伝えられています。
そこへ弘法大師の母君である阿刀氏が、我が子を一目見ようと香川県の善通寺より訪ねてこられました。
しかし当時の高野山は女人禁制であったため、阿刀氏は高野山に入ることができず、ここで暮らしながら弥勒菩薩を篤く信仰していたそうです。
弥勒菩薩の別名が「慈尊」であることから、やがてこのお寺は慈尊院と呼ばれるようになりました。
阿刀氏は入滅の後、弥勒菩薩に化身したと信じられ、慈尊院は女人結縁の寺として篤い信仰を集めたのでした。

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今回のお目当ては数年ぶりに開帳される、本尊・弥勒仏の御開帳です。
通常は21年に一度の開帳ですが、今年は高野山開創1200年にあたるということで、特別に公開されました。
前回の御開帳時には参拝できなかったため、期待に胸が膨らみます。

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本尊の弥勒仏は弥勒堂と呼ばれる、小さなお堂にひっそりと安置されていました。
像高91cmで一木造。
平安時代初期の作で、国宝に指定されています。
尊像まで距離があったことと、かなりの晴天だったために堂内がかえって暗く見え、残念ながらおぼろげな輪郭しかわかりませんでした。
それでも長年ずっと憧れ続けてきた秘仏を実際に拝したときは、感慨で胸がいっぱいになりました。

2015.4.17

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