野中寺(大阪)・弥勒菩薩御開帳

大阪府藤井寺駅から歩いて30分ほどのところに、野中寺があります。



本尊は弥勒菩薩。
千手観音で有名な葛井寺と同じく、毎月18日に開帳されています。



お堂に入ると小さな厨子が置かれており、何とも可愛らしい菩薩様がその中にいらっしゃいました。
鍍金造りで像高18.5cm。
お寺の方のお話では、666年に信者118人の誓願によって造られたという記載が台座に残っているそうです。
弥勒菩薩と明記されている、最古の仏像でもあるとのことでした。

右手人差し指と中指で頬杖をつき、右足を左足に乗せて坐る、いわゆる半跏思惟像。
有名な京都広隆寺の弥勒菩薩像と同じスタイルです。
体に対して頭が大きく、羽のような飾りをつけており、静かに物思いにふけるお姿は、まるで子供のようにも見えました。
銅で出来ていますが、体はほっそりとしてしなやかで、不思議と柔らかな印象を受けます。



かつてこの野中寺は、大規模な七堂伽藍を備えていたそうです。
境内には塔の礎石が並んでおり、往時の大伽藍を彷彿とさせました。

2010.4.18
スポンサーサイト

塩船観音寺(東京)・千手観音御開帳(2)

本尊脇に並ぶ二十八部衆も、一部後補はあるものの、鎌倉時代の作と推定されているそうです。
これだけ古い二十八部衆が揃っているのは、全国的に見ても珍しいとのこと。
二十八部衆には、あの有名な阿修羅(塩船観音寺バージョン)もいます。
個人的には、頭に象の被りものをしている五部浄が特に印象的でした。



本堂を出て坂道を登っていると、巨大観音像が見えてきました。



近寄ってみると、本当に大きい!
おそらく10m以上はあるのではないでしょうか。
今年の4月8日に落慶したそうです。
なかなか上品なお顔をなさっていますね。



境内の斜面には一面つつじの木が植えられていました。
今年の春は寒い日が続いていたためか、まだまだ満開とはほど遠い状態だったものの、それでもポツポツと咲く花が色鮮やかで、見ていて心が和みました。

今度はつつじが満開の頃にまた訪れたいものです。

2010.4.25

塩船観音寺(東京)・千手観音御開帳(1)

青梅きっての古刹である塩船観音寺は、つつじの名所として知られており、見頃を迎えるゴールデンウィーク前後には多くの参拝客でにぎわいます。
本尊の千手観音は、都内でも有数の古仏。
今年は開創1350年祭が行われ、その本尊を内陣で拝観できるということで、青梅まで出かけてきました。



趣ある山門が見えてきました。



本堂では内陣参拝と併せて特別祈願をしていただくことに。
祈祷の後、ご住職からお寺や仏像についてのお話を伺うことができました。

内陣中央の厨子には千手観音が安置されており、その周りを二十八部衆が囲んでいます。
千手観音は像高144cmで、鎌倉期の作。
下から光を受け、お顔がぼうっと照らされている様は、実に神秘的です。
美しい衣をまとい、衣文は流れるような線を描いていました。
スレンダーなお体からは繊細な42本の腕が伸びており、それぞれに持物が握られています。

ふと見ると、千手観音の足元に木の切り株のようなものが置かれていました。
切り株には穴がくり抜かれており、その中にごくごく小さな5cmほどの仏像が入っています。
ご住職に伺ったところ、その小さな仏像は、1350年前に八百比丘尼がお祀りした千手観音だと伝えられているそうです。
この実に小さくて可愛らしい観音様を中心にして、これだけの大伽藍が築かれたのだということに、新鮮な驚きを覚えました。
それが事実かどうかではなく、何百年もそう伝えられていることこそ、大切なのだと思います。

(その2へ続く)

龍華寺(神奈川)・関東の脱活乾漆像

昨年、日本中を賑わせた興福寺の阿修羅像は、脱活乾漆造という方法で造られています。
麻布を漆で塗り固めて像を造る技法ですが、手間や費用がかかりすぎるため、奈良時代の一時期に流行したのち、やがて用いられなくなりました。

その脱活乾漆造で造られた仏像が、神奈川県横浜市のお寺に残されていることを知ったのは、つい1〜2年ほど前のこと。
関東ではとても珍しい脱活乾漆像をかねてより是非拝してみたいと思っていたところ、今月特別開帳されるということを偶然知り、本日、駆け込みで参拝してきました。



龍華寺までは金沢八景駅から歩いて10分ほど。
菩薩像は本堂手前の建物で公開されていました。



まず第一の印象は、体躯に量感があり、よく引き締まっているということです。
そのため実際の像高よりも大きく、堂々として見えました。
平成10年に発見された時は破損が激しかったため、像を補修したたところ、かなりの部分で近世の後補が確認されたそうです。
ただしお姿はバランスがとれており、素人の私が一見しただけではほとんど違和感はありません。
かつて全身を覆っていたであろう金箔は剥げ落ち、漆の部分があらわになって、艶やかに黒く光っています。
お顔立ちは端正で鼻筋が通っており、どことなく同じ脱活乾漆造である葛井寺の千手観音像のお顔を彷彿とさせました。

そのほとんどが天平時代にしか造られなった脱活乾漆造の像が何故この横浜の地にあるのか、詳しいことはわかっていないものの、鎌倉時代以降に西日本から請来されたのではないかと考えられているようです。
数百年前に遠く離れた土地からはるばる運ばれきたことを考えると、とても感慨深くなりますね。



境内には美しい牡丹が咲いており、しばし立ち止まって見惚れていました。


2010.4.25

葛井寺(大阪) 千手観音御開帳

毎月18日は、大阪府藤井寺市にある葛井寺の御開帳日です。



市名の藤井寺市の由来になっていることからもわかるように、葛井寺(ふじいでら)は長い歴史を持つ古刹であり、創建は奈良時代までさかのぼると言われています。



本尊の千手観音立像(国宝)は脱活乾漆造で、天平時代の作。
千手観音は通常、手の数が省略されて造られることが多いのですが、こちらの観音様は実際に千本の手を持っていらっしゃることで有名です。
千本の手は扇状に体の背後に広がっており、あたかも光背のようにも見えました。

体躯のところどころには金箔が残っており、かつては金色に輝いていたことがわかります。
造像当時はさぞかし華やかなお姿だったことでしょう。
圧倒的な異形の像容でありながら、端正なお顔立ちをなさっており、表情はとても穏やかです。
耳の周りから垂れる大きなリボンのような装飾が、とても優美な印象を与えていました。



境内には賑やかな露店が並んでいました。
月に一度の観音様に会える日に、皆でお祝いをしているようですね。

2010.4.18

金剛寺(大阪)・河内長野の古刹

河内長野市の金剛寺は、南北朝時代に南朝の御所が置かれたこともある、格式高きお寺です。
観心寺から路線バスを乗り継いで行こうと計画していたところ、御開帳日だけ無料のシャトルバスが運行されるということを知り、乗せていただくことにしました。



お堂へ入ると、3mを超える大日如来、その脇に不動明王、降三世明王(こちらも2m超)が並んでいらっしゃるのが見えました。
このような組み合わせはとても珍しく、全国的にも他にほとんど例がありません。
大日如来は藤原時代、不動明王と降三世明王は室町時代の作で、いずれも国の重要文化財指定を受けています。
大日如来の体躯は金色に輝いていましたが、恐らく後補によるものでしょう。
不動明王と降三世明王も色彩がよく残っていて(こちらも後補かもしれません)、三尊並んだ様は、とても煌びやかでした。



この三尊は、今年の4月18日の公開を最後に、約10年かけて修復されるそうです。
仏像の修理には大変な時間と手間がかかるのですね。
そのようなタイミングで仏様たちにお会いできたことは、とても幸運なことだと感じました。

2010.4.17

観心寺(大阪)・如意輪観音御開帳

河内長野市にある観心寺の如意輪観音は、おそらく日本で最も有名な秘仏のひとつではないかと思います。
日本史の教科書にも登場する、この著名な仏様は、年にたった2日間だけ、4月17日と18日に開帳されています。
かねてよりこの尊像を拝することが夢だったのですが、今年はこの2日間が土日にあたるということで、意を決して大阪・河内長野市まで行ってきました。

観心寺までは河内長野駅からバスで15分ほど。
バスを降りた瞬間から、念願の対面に足の運びが速くなります。



お堂へ入って奥を覗くと、中央に如意輪様がいらっしゃるのが見え、その存在感に息を呑みました。

像高108.8cmで、平安初期の作。
密教美術の代表的仏像とされ、国宝に指定されています。
弓のように長くのびた眉毛、物憂げな眼差し。
秘仏だけあって、色彩もよく残っており、赤い唇が妖艶でした。
右膝をたてて左右の足の裏を合わせる、輪王座という座り方をなさっており、しなやかな6本の腕がそっと添えられています。
顎の下は肉付きがよく、体全体もふっくらとしており、絶妙のバランスで官能的な美しさを放っていました。

お堂は参拝客でいっぱいになっていたものの、正直、思っていたほどの混雑ではありませんでした。
昨年、興福寺で「お堂で見る阿修羅展」が行われた時、待ち時間が240分だったことを思えば、むしろ非常に少ないとも言えます。
待ち時間が少ないのは嬉しいことですが、阿修羅以外の仏像にあまり関心が集まらないのは、とても寂しいことだと感じました。



2010.4.17

孝恩寺(大阪) 平安仏の宝庫(2)

数多くの孝恩寺の仏像群の中で、特に印象深かったのは、釈迦如来、薬師如来、そして跋難陀竜王像です。

釈迦如来(写真はコチラ)は、厳しいお顔つきの中にも品格が感じられ、非常に端正な尊像でした。
私個人としては、このお釈迦様が一番印象に残っています。

そして特筆すべきは薬師如来(写真はコチラ)の着衣です。
偏袒右肩という右肩をあらわにして衣をまとうスタイルがベースでありながら、右腕の一部に横披という布をからませており、非常に珍しい衣の纏い方をなさっていました。
このような像を拝したのは、おそらく今回が初めてだと思います。
頭の肉髻は非常に大きく、まるで大きめの帽子を被っているようでした。

跋難陀竜王像(写真はコチラ)は、八大竜王のひとりであり、水の信仰と深い関わりをもった仏様です。
エキゾチックなお顔立ちで、顔や衣の線が明確に彫られ、力強く表現されています。
孝恩寺を紹介している本などでは、よくその写真が掲載されており、奥様のお話では、この尊像を拝するためにお寺へいらっしゃる方が特に多いということでした。

現在の収蔵庫は空調設備が整えらた立派なものですが、以前は小さな収蔵庫にご尊像が所狭しと並んでいて、痛みも酷かったといいます。
それをご住職や奥様が心血を注いで新たな収蔵庫を建て、守ってこられたということでした。

木でつくられることの多い仏像は、放っておくといずれは朽ちてしまいます。
何百年も経って、今も私が拝することができるのは、多くの方たちが守ってこられたからに他なりません。
今までに色々な土地を旅してきましたが、たくさんの仏像に出会う度に、いつもそのことを実感します。

2010.4.18

孝恩寺(大阪) 平安仏の宝庫(1)

貝塚市の孝恩寺には、素晴らしい平安期の仏像群が数多く伝えられている。
仏像好きの知人からそう聞いた瞬間から、このお寺をずっと参拝したいと思い続けてきました。
今回の旅行の目的地を大阪・兵庫に選んだ時に、まず一番に参拝することを決めたお寺です。

孝恩寺へは、貝塚駅から水間鉄道で20分ほど。
終点の水間観音駅にあります。



水間鉄道は車両が2両しかない、実にささやかな列車です。
鉄道ファンの心をくすぐるらしく、写真を撮っている方が何人もいらっしゃいました。
ひと駅の区間が非常に短く、列車というよりは、地元の方々にとってバスのような存在なのではないかと感じました。

拝観の時間をお約束していたので、駅からはタクシーでお寺へ。



釘無堂と呼ばれる本堂は、鎌倉時代の建築で、国宝に指定されています。
お庭も丁寧に手入れされていて、古刹の風格を感じました。

拝観のお願いをして、収蔵庫へ入れていただくことに。
中に足を踏み入れた瞬間、思わず鳥肌が立つのを感じました。
収蔵庫内には、なんと19体もの平安期の仏像群がずらりと並んでいたのです。

(その2へ続く)

関西旅行

18日から三日間、大阪・兵庫へ仏像の旅へ出かけていました。

素敵な仏像との出会いがたくさんありました。
明日からしばらくはそのことについて書こうと思います。

それにしても疲れた…。

高尾山のそば行列(3)

緊張の瞬間。
護摩壇の奥に、飯縄権現様はいらっしゃいました。
もともと彩色があったかどうかは不明ですが、護摩の煙に燻され、全身真っ黒な木肌です。

カラス天狗と言われるそのお姿は、一般的にイメージする鼻が長い天狗とは違い、口元が鳥の口ばしのような形になっています。
右手に宝剣、左手に羂索を握り、火焔光背を背負っているのは、いわゆる不動明王と同じスタイルです。
手持ちの資料によれば、飯縄権現とは、大日如来が大天狗の姿に身を変えた神仏習合の神とのこと。
山岳信仰と不動明王信仰の影響を強く受けて、篤く信仰されてきた神なのです。
 
権現様の後ろには立派な厨子があり、そちらに秘仏の本尊、薬師如来が安置されているとのことでした。
周囲には菩薩像や高僧像などが並び、四隅を四天王が守っています。
修験道の濃密な世界が凝縮されているようで、思わずクラクラしてしまいました。
 
お堂の外へ出ると、地元の商店街の方(?)から、塗り箸のプレゼントをいただきました。
この箸を使って高尾山内の蕎麦屋で蕎麦を食べよう、というキャンペーンの一環のようです。
う〜む、やっぱりお蕎麦は振舞われなかったのね…。



「そば行列」というのは、修験者がお蕎麦を飯縄権現様に奉納する、その行列に私たちも参加させていただくという、とてもありがたい法事だったのでした。
 
何はともあれ、憧れの権現様にお会いできて大満足
高尾山と修験道の奥深さに感嘆した一日でした。

2010.2.6

高尾山のそば行列(2)

私たちの待つイベント会場へ蕎麦職人が現れ、蕎麦を打ち始めました。
地元の商店街の会長さんがインタビューを受けたりして、会場は実に和やかなムードです。
 
ぶぉーっ!ぶぉーっ!
突然、高らかなホラ貝の響きが聞こえてきました。
群衆がさっと分かれて道をつくると、5〜6人の修験者が薬王院の方角から現れたのでした。


 
修験者達は打ち上がったばかりの蕎麦を携え、再び薬王院へ。
すると「皆様、そば行列が始まりますので、列を作って並んでください!」というアナウンスが流れました。
何が何だか全くわからないものの、そば行列というくらいなんだから蕎麦が振舞われるに違いない、という空気が会場全体に漂い、数百人が列を作ってふらふらと修験者に続いて行きます。
そう、その様子はさながらホラ貝版ハーメルンの笛吹き男のよう…(笑)。
 
やがて私たちが薬王院へたどり着くと、お堂前の階段の脇に修験者が左右に分かれて並び、一斉にホラ貝を吹いて出迎えてくれました。 
お堂は参拝客で埋め尽くされ、まさにすし詰め状態。
護摩が始まり、厳かに護摩壇へ火が灯されました。

おそらくお堂にいた参拝客の8割は、「蕎麦は一体どこで食べられるのだろう?」という疑問を抱いていたに違いありません(私たちも完全にそう思っていました)。
炎が大きく燃え盛り、読経の声と太鼓の音がクライマックスへ達したころ、一斉にホラ貝の音が堂内に鳴り響きました。
鳥肌が立つような格好良さです。
さすがは修験道の聖地、高尾山。

「では皆様、飯縄権現様にお参りしてください」と声がかかり、皆ぞろぞろと列を作りだしました。
 
(その3へ続く)