東京湾観音(千葉)・南総のカリスマ(4)

階段をかなり上ったところに、東京湾観音の本尊が祀られていました。



巨大なコンクリ観音は、この観音様を原型に造られたようです。
実は私、巨大観音そのものが本尊だと思ってました…。



階段はどんどん狭く、急になってゆきます。
梯子をつたって必死に上ってゆくと…。



ついに観音様の頂上へ。
東京湾が一望でき、なかなかの絶景です。
上ってよかった〜♪

頂上でぼーっとしながら房総の海を眺めていると、なんだか妙に穏やかな気分になりました。
観音様のおかげでしょうか。
正直言って不思議だったのは、参拝者がわりと沢山いて賑わっていたことです。
牛久大仏行った時もそうだったけど、巨大仏って意外と定番の人気スポットなのかも。



観音様の胎内を出た後は付近を散策してみました。
後ろから見ると、ポツポツ穴があいてます。
ここから外の眺めが見られたんですね。



境内には何故か浦島太郎のコンクリ像が…。

東京湾観音。
今まで敬遠していたけれど、意外にも見どころが多く、充実の参拝となりました。

時に感動したりして、素敵なひと夏の想い出に…。

2010.7.4
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東京湾観音(千葉)・南総のカリスマ(3)

階段をさらに上ってゆくと、東京湾観音の開祖の写真がありました。



宇佐美政衛。
明治23年生まれ。現在の千葉県君津市出身。
生家は貧しく、わずか14歳にして品川の材木商へ奉公に出た。
苦労を重ねて材木事業で巨財を築き、私財を投じて東京湾観音を建立した。

う〜む、努力の人だったのね。
昭和30年代に個人で1億2000万円ものお金を支払えるだなんて、相当なお金持ちです。
しかもそのお金の使い道が巨大な観音像を造ることだったとは!
ロマンを感じます。

正直、今まで東京湾観音については、それほど良いイメージを持っていませんでした。
子供の頃は単に大きいなあと思うだけだったし、高校生くらいからは半分馬鹿にしていたような感もあります。
でもこうして実際に訪れてみると、これも一つの信仰の形なのかもしれない(極端だけど)、と妙に感慨深くもありました。

さて、たっぷり物思いにふけったところで、さらに上を目指します。
途中、何やら教訓めいた紙が貼ってありました。


15歳で一生の方針を定めよ。

あの〜、もう全然間に合いません…。



若干テンションが下がりながらも、さらに上を目指していると、階段の途中から外の景色を眺めることができました。
なかなかの眺めです。

(つづく)

東京湾観音(千葉)・南総のカリスマ(2)



コンクリートの階段を上へ上へ。
なかなかハードです…。

"

階段の所々には、千葉県出身の彫刻家が造った仏像が安置されており、なかなか見ごたえがあります。



恵比寿様。
なんだかドラマチック!



こちらは観音様の見取り図です。
複雑な内部の構造がよくわかります。



この東京湾観音は、昭和36年当時で1億2000万円のお金をかけ、なんと1万2千人もの人によって造られたとのこと。
すさまじいまでのスケールです。
建立者の宇佐美政衛とは一体何者なのか…?

その謎はこの後解けるのでした。

(つづく)

東京湾観音(千葉)・南総のカリスマ(1)

房総で生まれ育った私にとって、それは幼少時から常に気になる存在でした。
国道127号線を車で走っていると、いやが応でも視界に入ってくる白い巨体。

東京湾観音です。



何もない海岸線沿いに突如として現れ、初めて訪れる人はもちろん、そこにあるとわかっていている人でさえ、見るたびにギョッとしてしまう、圧倒的な存在感。

…が、地元であるがゆえ、今までは敢えて行こうという気にもならず、単に横を通り過ぎるだけでした。

ある日ふと思ったのです。
法隆寺や興福寺には何度も行っているのに、車で1時間ほどのところに未だ行ったことがないなんて、おかしいのではないか?

原点回帰!
というわけで、東京湾観音へ行ってきました。




観音様、相変わらず凄まじいまでの存在感です。
後ろに見える建物と比べても、このお方がいかに巨大であるかがわかります。
像高なんと56m。
千葉県富津市の大坪山という小高い丘の上に、ただひとり、気高く佇んでいらっしゃいます。

胎内めぐりをすることができるということで、500円の拝観券を買い、観音様の胎内へ。



入口付近には小さなお堂がありました。



その横には拝観ノートが置かれており、参拝者の旅の思い出や、観音様への願い事が綴られています。 
…ん?




(つづく)

深大寺(東京)・白鳳期の釈迦如来(2)

大師堂を出て、お目当ての釈迦堂へ。
こちらのお堂には、都内では非常に珍しい、白鳳時代の釈迦如来像が祀られています。
⇒写真はコチラ



像高60.6cmで銅造。
椅子に腰かける、倚坐という珍しい坐り方をなさっています。
ニッコリと子供のように笑うお顔が可愛らしく、昔から大好きな仏様です。

白鳳時代の仏像が何故この地に伝えられているのか、詳しいことはわかっていないようです。
奈良などで造られて運ばれたのか、それとも関東で造られたのか…。
お釈迦様を眺めながら、あれこれと想像をめぐらせてみるのも楽しいですね。

そして深大寺といえば、やっぱり蕎麦!



参拝の締めくくりに、ざる蕎麦と蕎麦団子を食べて、帰路についたのでした。

2010.6.19

深大寺(東京)・白鳳期の釈迦如来(1)

調布市の深大寺は、門前に並ぶ蕎麦屋が名物として知られる、都内屈指の古刹です。
このお寺に白鳳時代に造られた釈迦如来が祀られていることは、世間ではあまり知られていません。



先日、数年ぶりに深大寺へ。
梅雨の最中にも関わらず、境内は参拝客で賑わっていました。



なんと本堂で結婚式が行われていました。
お寺で結婚式をしているのを見たのは初めてです。
とても素敵ですね



大師堂には秘仏の元三大師が祀られています。

お堂の前に変った石仏を発見。
角大師です。



角大師は元三大師が夜叉の形相で疫病を追い払っている姿であるとされ、魔除けの護符として、古くから民家などに貼られました。
おそらく角大師の石仏を見たのは、今回が初めてではないかと思います。
とってもラブリーです♪
深大寺を訪れるのは今回で3度目ですが、初めてこの石仏に気付きました。

(つづく)

達谷窟毘沙門堂(岩手)・大迫力の不動明王

藤里毘沙門堂を出て、大急ぎで一関へ。
時間的にかなり厳しいと思っていたものの、なんとか間に合いそうだったので、気になっていた達谷窟毘沙門堂へと向かいました。



達谷窟毘沙門堂は、中尊寺金色堂からも程近い平泉町に位置しています。
そしてこのお寺を特に有名にしているのが、岸壁に貼り付くようにして建てられているお堂です。



実際目の当たりにしてみると、その迫力に絶句!
まるで岩がお堂を飲みこもうとしているかのようです。
堂内に入ると、奥にはむき出しの岩壁が広がっており、その前に数十体もの毘沙門天がずらりと安置されていました。



岸壁に不動明王が彫られています。



一体どうやって彫ったのかしら?



さらに歩くと不動堂が見えてきました。
中を覗き込んでみると…。



わわわっ!!!

ど迫力の不動明王がいらっしゃいました。
なんという存在感!
おそらく丈六サイズと思われますが、私のデジカメではその迫力を到底お伝えできないのが残念です。

ツギハギだらけの体躯。
長い年月を経て、独特の色合いに変化した朱色。
ダイナミック過ぎるほどの火焔光背…。
もうクラクラです。
後補が激しいものの、平安時代の作と推定されており、県の文化財指定を受けています。

素朴で力強く、個性的。
みちのくの仏像の真骨頂を目の当たりにしたような思いでした。

2010.7.10

藤里毘沙門堂(岩手)・二体の毘沙門天(2)



こちらへいらっしゃる方に「こんにちは」と声をおかけしました。
するとその方も「こんにちは」と答えてくださいます。
見ると手には鍵が握られており、電話で予約を受けてくださった方なのだとわかりました。

収蔵庫の頑丈な扉がゆっくりと開けられると…。



中には見事な鉈彫りの毘沙門天様がいらっしゃいました。
地天女の上に立つ、兜跋毘沙門天です。

地天女ともにトチの木の一木造で、平安中期の作。
像高182cm、地天女と合わせると232cmになります。
整然と並ぶ横縞の鉈彫りの目がとても美しく、眼や口を顔の中央にキュッと寄せたような表情は、何だか可愛らしくも見えました。

そして収蔵庫にはもう一体の毘沙門天。



こちらは鉈彫りではなく、足元には邪鬼が踏みつけられています。
腰をひねり、凛々しいお顔立ち。
像高173cmで、平安末期から鎌倉時代の作と推定されているそうです。

対照的な二体の毘沙門天の他にも、収蔵庫内には素朴で可愛らしい仏さまが沢山いらっしゃいました。



お堂を開けてくださった方に、当初の時間よりかなり早めに到着してしまったことをお詫びすると、
「電話さえくれてれば、別に何時でもいいんだよ」
と仰ってくだいました。
言葉は少ないけれどとても親切な方で、心がふわりと温かくなるのを感じました。

きっと収蔵庫の仏様たちは、何百年もの間、このような方に守られてきたのでしょう。



あたりを歩いていると、緑豊かな田園風景が広がっていました。
この藤里の地だからこそ、毘沙門堂の仏様たちは、より一層魅力的に見えるのかもしれません。

2010.7.10

藤里毘沙門堂(岩手)・二体の毘沙門天(1)

北上市立博物館を出発し、奥州市へ。



長閑な田園地帯を通り抜け、やがて小高い山の中へ入ってゆきます。



しばらくすると藤里毘沙門堂の看板があり、鳥居が建っていました。
雑草が生い茂っていて、道は全く見えません。

ここを登るしかないのだろうか…。

若干不安になりながらも、意を決して登ることに。
雨が降っていたため、地面はひどくぬかるんでおり、そのうえ雑草が容赦なく足に突き刺さります。
(後でわかりましたが、ちゃんと車も通れる立派な道が別にありました)

息を切らせて登ってゆくと、やがてお堂が見えてきました。



現在は愛宕神社の中にある藤里毘沙門堂は、かつて智福寺というお寺の毘沙門堂だったそうです。
その智福寺が後に智福神社という神社に変わり、近年、愛宕神社が管理することになりました。

お堂の近くには、圧倒されるくらい大きな木が生えていました。
きっとご神木なのでしょう。



お堂は閉ざされており、人の気配は全く感じません。
ふと上を見ると収蔵庫が建っていたので、そこまで登って辺りを見渡していると、近くの建物から人が出てくるのが見えました。

(つづく)

北上市立博物館(岩手)・万蔵寺の神様

北上市に位置する万蔵寺には、不思議な三体の神像があります。
若年・壮年・老年の三期にわたって男神を表しているという、大変珍しい像なのです。

神様が歳をとるだなんて。

何だかとっても不思議です。
ぜひとも拝してみたいと思い、お寺にお電話したところ、現在拝観の受付はしていないとのことでした。
ところが立花毘沙門堂のお寺の方から、北上市立博物館には万蔵寺の仏像がいくつか安置されているというお話を偶然伺い、翌日行ってみることにしました。



博物館の奥へ進んでゆくと…。
ガラスケースの中に、仏像がずらりと安置されているのが見えてきました。
主に万蔵寺と白山神社の仏像や神像が展示されており、いずれもかなりの古像で、なかなか見ごたえがあります。

特に印象的だったのが、万蔵寺の十一面観音と男神像。
十一面観音は平安期の作で、いかにも地方仏らしい、素朴でやさしいお顔をなさっていました。

そして男神像。
こちらに安置されているのは、万蔵寺の三体の男神像のうちの壮年期を表した神様でした。
涼しげな眼差しをしたイケメン神で、平安貴族のような装束をまとっています。
写真で若年期の像を見たことがあるのですが、やはりその像よりも大人びた凛々しいお姿をなさっていました。
三尊が並んでいるのを拝することができたら、さぞかし素晴らしいだろうなあ…。

館内には他にも北上市の歴史や文化を物語るような展示が数多くあり、それらを眺めていると、このあたりが北上川の恩恵を受けて栄えてきた地であるということがよくわかりました。



博物館の近くにも北上川が流れています。
この日は悪天候のため水はかなり濁っていましたが、それでもその川の豊かさに万蔵寺の尊像の大らかさを重ね合わせることができるような気がして、しばし思いをはせていました。

2010.7.10

成島毘沙門堂(岩手)・日本最大の兜跋毘沙門天



天台寺を出発して南へ車で2時間ほど走り、花巻市の成島毘沙門堂へ着きました。



境内には泣き相撲の土俵がありました。
先に泣いた赤ちゃんが負け、という面白い相撲で、全国大会も行われるそうです。



毘沙門堂です。
重要文化財の毘沙門天立像は、かつてこちらのお堂で祀られていましたが、現在は収蔵庫に安置されています。



収蔵庫の中へ入ってみると…。
「わあっ!」
思わず声をあげてしまいました。
中にいらっしゃったのは、大きな大きな兜跋毘沙門天だったのです。

像高348cm。
足元を支える地天女も含めると473cmにもなります。
兜跋毘沙門天像としては日本最大とのこと。
なんとこれだけの大きさにも関わらず一木造だそうです。

毘沙門天の横には重要文化財の吉祥天が安置されていました。
頭に二頭の象を乗せているという、とても珍しいお姿をなさっており、上品なお顔立ちと神秘的な眼差しが印象的でした。



境内には小さな祠がありました。
かつて毘沙門天の脛に味噌を塗って祈願をするという民衆信仰があったため、この祠には毘沙門天と同型の脛が祀られているそうです。

毘沙門天に味噌を塗るだなんて、面白い信仰ですよね。

2010.7.10

いのりのかたち展(根津美術館)

青山の根津美術館で開催されている「いのりのかたち〜八十一尊曼荼羅と仏教美術の名品〜」展に行ってきました。



お目当ては定慶作の帝釈天。
かつては興福寺の東金堂に安置されており、梵天と対をなしていたという、由緒ある尊像です。
堂々とした体躯、厚みのある衣、どことなくエキゾチックなお顔…。
とても個性的で、独特のオーラが漂っていました。



この根津美術館は、実業家の根津嘉一郎氏のコレクションを展示するために建てられた、私立美術館です。
美術館の場所には、元々は根津氏の私邸があったとのこと。
昔のお金持ちのスケールは桁外れですね…。



お庭を歩いていると、石仏が安置されていました。
なんと平安時代末期から鎌倉時代にかけての作と推定されているそうです。
そのような古仏が個人の庭に安置されていたなんてビックリですよね。



また別のところには、不思議なブロンズ像(?)が。
高僧像でしょうか。
お金を沢山握ってて、なんだかちょっと悪そう…(笑)。

2010.7.25