仏像ファン的古寺巡礼

仏像への愛を書き綴った、仏像ブログです。

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ちー

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読書と音楽、そして仏像をこよなく愛しています。

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運慶展に行ってきました 2011-02-26-Sat

金沢文庫で開催されている運慶展に行ってきました。

運慶と言えば、おそらく日本で一番有名な仏師。
快慶ら慶派仏師をひきつれて、東大寺南大門の金剛力士像を造像したことは特に知られています。



今回の一番の目玉は何と言っても、奈良市・円成寺の国宝・大日如来坐像。
(展覧会HPに写真が載っています)
以前お寺で拝したことがあるのですが、数年ぶりの対面にドキドキ・ワクワク。

会場は拍子抜けするくらい空いていました。
(※後期の展示入替の後はかなり混んでいるそうです)
目玉の大日如来坐像のまわりも数人がちらほらしているくらい。

ガラス越しとは言え、すぐ間近でじっくりと大日様を拝することが出来ました。
若々しく凛々しい面相。引き締まった体躯。
高く結われた宝髻にわずかに色が残っていて、この如来様の髪がかつては群青であったことを窺わせました。

そして今回の私のお目当て。
愛知・滝山寺の帝釈天立像。
(写真はコチラ)
後補の彩色が全体を覆っているものの、バランスの良い体躯やなめらかな衣文の表現に目を奪われました。



運慶展のあと、すぐ近くにある称名寺へ。
鎌倉時代に北条氏によって創建された金沢文庫は、北条家の滅亡後、この称名寺が管理していたといいます。
近年になり、神奈川県の運営する文化施設として復興されました。

境内の優美な浄土式庭園は、鎌倉時代に造られたものを発掘調査し、昭和62年に復元されたのだそう。
かつては多くのお堂が建ち並ぶ大伽藍だったのでしょうね。

2011.1.29

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如意輪寺(奈良)・慶派の蔵王権現 2011-02-24-Thu

5泊6日の関西旅行、旅の最後は吉野の如意輪寺です。
金峯山寺を参拝した後、大日寺、桜本坊へ。
さらに如意輪寺へ向かうべく細い山道を歩いていると、彼方にお寺が見えました。



あれが如意輪寺に違いない。
そう思ったものの、結構な距離があり、なかなか近づけません。



ひかすら山道を登って行きます。
かなりツライ!
こういう時、必ずと言っていいほど日頃の運動不足を悔やむ私…。



やっと山門が見えてきました。
ほっ



寺伝によると如意輪寺は、平安時代に日蔵上人によって開かれ、南北朝時代には後醍醐天皇の勅願所とされたという、格式高き古刹です。



そしてこのお寺で特に有名なのが、慶派仏師による蔵王権現像。
(お寺のHPに写真が載っています)
像高84.8cm。桜の一木造で鎌倉時代の作。
運慶の弟子である源慶の作とされており、小像ながらも躍動感に溢れ、美しい火焔が印象的でした。



境内を歩いていると、武士と子供の像がありました。
むむむ。何やら物々しい雰囲気。

近くの説明書きを読むと、楠木正成とその子の像とのこと。
「父は兵庫の浦で討ち死にする覚悟である。そなたは故郷へ帰るのだ」
「父上!」
今生の別れの場面なのです。

…ん?



正成公の鎧が硬貨で飾られてる!

おそらく参拝者が一枚、また一枚と並べていったのでしょう。
無言の共同作業。
何だか感動的な気持ちになりました(笑)。

そしてこの後ケーブルカー乗り場に向かう途中で思いっきり迷子に。
プチ遭難で半泣き状態だったのはここだけの秘密…(汗)

旅の最後に忘れられない想い出が出来ました。

2010.11.8

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金峯山寺(奈良)・蔵王権現御開帳 2011-02-21-Mon

奈良県南部の吉野山に位置する金峯山寺は、奈良時代に役小角が創建したと伝えられる、修験道のお寺です。
この金峯山寺で去年の秋におこなわれた、秘仏・蔵王権現の特別開帳に行ってきました。

吉野まで向かう途中の吉野口駅。



ほ、ホームに木が生えてるっ!



吉野駅からはケーブルカーで吉野山へ。
そこから歩くことしばし…。



巨大な仁王門が見えてきました。
金峯山寺です。



仁王様がこちらをジロリ。



国宝の本堂、蔵王堂。

とにかく大きい!
木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさだということです。
本尊の権現様はこちらにいらっしゃいます。

緊張しながら足を踏み入れてみると…。

でたーーー!!!
(お寺のHPに写真が載ってます)

お、大きい。
あまりにも大きい!

真っ青な尊像が三体、堂々と並んでいらっしゃいました。
中尊の像高はなんと7.28m。脇侍もそれぞれ6m前後あります。

蔵王権現とは役行者が感得したという修験道の仏様。
中央の像が釈迦如来、向かって右の像が千手観音、左の像が弥勒菩薩が姿を変えたものであり、それぞれ過去・現世・来世を象徴するとされています。

三尊の前には小さな障子が建てられ個室になっており、一人一人が権現様にお祈りできるようになっていました。
もちろん私も列に並び内陣へ入ることに。

内陣から見上げたお姿は、凛々しく勇壮そのもの。
忿怒の表情で右足を上げ、拝する者を叱り飛ばしてくださっているようです。
優しい菩薩様も大好きだけれど、怖い権現様にも胸がトキメキます(笑)。

山を信仰の対象とし、自然を崇拝する修験道。
この権現様は雄大な大自然のように、厳しくも温かく、私たちを包みこんでくださるのでしょう。

2011.11.8

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秋篠寺(奈良)・大元帥明王御開帳 2011-02-18-Fri

仏像ファンの間でも特に人気の高い仏像に、奈良市・秋篠寺の伎芸天立像があります。
奈良時代に造られて以来、数多くの人々を魅了してきた美仏です。



その秋篠寺に、伎芸天と対照的な秘仏があることは、一般的にはあまり知られていません。
その名も大元帥明王。
国土を護り、敵や悪霊の調伏に絶大な功徳を発揮すると言われる密教の明王です。

この大元帥明王が開帳されるのは例年6月6日の一日のみですが、昨年11月、平城京遷都1300年記念の特別開帳が行われました。



開門前にお寺へ着くと、門前には長蛇の列。
秋篠寺は前にも訪れたことがありますが、このようなことは始めてです。



開門と同時に人の流れは本堂横の大元堂へ。
小さなお堂はたちまち参拝客でいっぱいになってしまったため、まずは本堂をお参りすることにしました。
堂内には本尊の薬師如来など、多くの仏像がずらりと並んでいます。
けれどもやはり真っ先に目に飛び込んで来たのは、左端にいらっしゃる伎芸天でした。

伎芸天。
その美しさと繊細な仕草で、長い間多くの人々の心を捉えてきました。

頭部のみが奈良時代の脱活乾漆造で造られており、体部は鎌倉時代の木造の後補です。
にも関わらず違和感は全くありません。
むしろそのことを聞いてから像を拝すると、その儚げな美しさがより一層際立って感じられます。
数年ぶりの対面で私は歳をとってしまったけれど、この尊像は何ひとつ変わることなく、優しく微笑んでいらっしゃいました。



さて次は念願の大元堂です。
お堂に足を踏み入れるなり、奥に真っ黒な塊が見え、思わず息を呑みました。

大元帥明王。
像高は219cm。鎌倉時代後期の作と推定されています。
敵や悪霊の調伏に功徳があるとされているため、数多くの修法が行われてきたのでしょう、全身が護摩の煙で真っ黒になっていました。
ゴツゴツとした体躯は、まるで巨大な岩のよう。
髪は逆立ち、すさまじいまでの忿怒の面相をしており、体のあちこちに蛇を絡ませています。

美しい伎芸天とはあまりに対照的な大元帥明王の迫力。
拝する者を圧倒し平伏させます。
境内を離れて駅に向かっている時も、そのオーラに触れた余韻はなかなか抜けませんでした。

2010.11.8

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太宗寺(東京)・都内最大の閻魔像 2011-02-15-Tue

1月16日は閻魔大王の縁日。
地獄の釜の蓋が開いて、鬼も罪人の呵責を休むとされる、とても有り難い日です。

この初閻魔の日に、新宿区・太宗寺のお堂が公開されました。



太宗寺は新宿御苑からも程近い繁華街の一画にあります。
早速お堂に入ってみると…。



出たーーー!!!

像高なんと5.5m。都内最大の閻魔像です。
太宗寺には何度か訪れたことがあるのですが、やはりお堂の外から覗くのと間近で拝するのとでは迫力が全く違います。



右奥には舌を抜くペンチのような道具が置いてありました。
大きさは1mくらいでしょうか。
人間の舌を抜くには大きすぎる気も…(笑)?



向かって左側には奪衣婆がいらっしゃいました。
像高2.4m。こちらもかなりの迫力。
奪衣婆は三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆です。



閻魔大王のアップ。



奪衣婆のアップ。

確実に奪衣婆の方が怖い(汗)。
そう、女性は強いのです…。
色白で大きな瞳。昔はかなりの美人だったかもしれません(笑)。

2011.1.16

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海住山寺(京都)・二体の観音像 2011-02-12-Sat

京都南部、木津川の流れからも程近い三上山の中腹に、海住山寺があります。
山号は補陀洛山。
天平時代、聖武天皇の勅願により僧・良弁が開創したと伝わる古刹です。



木津川を車中から眺めながら進み、やがて三上山を登って行きました。
お寺までの道はとても急で細く曲がりくねっており、車同士が行き交うことが出来ないほどでした。



なんとかお寺まで辿りつき境内へ。
国宝の五重塔です。



この海住山寺は対象的な二体の観音像が祀られていることで知られています。
(お寺HPの写真はコチラ)

まずは本尊の十一面観音像。
像高167.9cm。平安時代(10世紀頃)の一木造です。
衣文はシンプルな線で彫られており、下膨れのお顔、いかにも一木らしい寸胴な体躯が、素朴な雰囲気を漂わせています。

そして秋に特別公開されるもう一体の十一面観音観音像。
像高45.5cm。こちらも平安時代(10世紀頃)の作と推定されています。
端正なお顔立ちに軽やかな天衣。壇像風の観音像です。
腰をわずかに捻っており、その括れた部分のお腹がふくよかで、とても優美に見えました。



海住山寺。
波打つ海のように連なる山々の間に建つこのお寺が、南海の洋上に浮かぶ補陀洛山のようだとして、こう名付けられたといいます。

境内からは、かつて恭仁京が置かれて瓶原(みかのはら)と呼ばれた地が見えました。
奈良時代、木津川の周辺には都や大寺院が築かれ、華やかな文化が花開いていたのでしょう。

2010.11.7

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喜光寺(奈良)・試みの大仏殿 2011-02-09-Wed

寺伝によると喜光寺は天平時代に僧・行基が創建したというお寺です。
行基は東大寺大仏殿を建立する時に喜光寺の本堂を参考にしたと伝えられ(現在の本堂は室町時代の建物)、現在も本堂は「試みの大仏殿」と呼ばれています。



まずは山門の仁王様にご挨拶。



何だかちょっと西洋風なような…?

そして「試みの大仏殿」へ。
こちらには平安時代の阿弥陀如来が祀られています。



お堂の中には見事な丈六の阿弥陀様がいらっしゃいました。
像高233cm。藤原仏らしい優しげなお顔をなさっています。
光背の飛天がいかにも楽しげで、見ていると心が和みました。



脇侍の観音・勢至菩薩は像高160cmほど。本尊より少し後の室町時代の作と推定されているようです。



境内を歩いていると仏足石とお釈迦様の石仏がありました。
なんとなくインド風…?

2010.11.7

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霊山寺(奈良)・山の中の観音 2011-02-06-Sun

奈良市にある霊山寺は、聖武天皇が創建したと伝わる古刹であり、数多くの仏像や宝物が残されていることで知られています。

奈良時代、聖武天皇は病に苦しむ皇女を心配していました。
するとある夜、夢枕に仙人が現われ、登美山の薬師如来の霊験を説いたのです。
そこで僧・行基を登美山につかわすと皇女の病気が平癒したため、天皇はこの山に霊山寺を建立させたといいます。



お寺が位置するのは奈良市の郊外、富雄地区。
境内では始まりかけた紅葉を目にすることができました。



国宝に指定されている本堂です。
毎年秋に、秘仏の薬師三尊、そして普段は博物館に寄託されている十一面観音が公開されます。



お堂の厨子には本尊の薬師如来、その横には日光・月光菩薩が安置されてました。
そして手前にいらっしゃったのは…。

ああ、山の神様だ。

その十一面観音様を拝した時、不思議とそう思いました。
お顔は極端に大きく、三頭身くらいでしょうか。
口をへの字に結んおり、大きな眼や鼻が、お顔をより一層個性的にしています。
(お寺のHPに写真が載っています)

カヤの木の一木造で平安時代の作。
顎を引いてお腹をぐいと突き出しており、像高は82cmと小像ながらも、圧倒的な存在感のために実際よりも大きく見えました。

エキゾチックな面相と極端にデフォルメされた体躯。
彩色をしない素地仕上げのため、木の木目がはっきりとわかります。
木の持つ霊性がそのまま像に宿ったような、神秘的な雰囲気を漂わせていました。

仙人が住むという山のお寺にふさわしい、不思議な観音様でした。

2010.11.7

CATEGORY : 奈良 Trackback 0 Comment 4 △Page Top

富貴寺(奈良)・川のほとりの釈迦如来 2011-02-03-Thu

奈良県川西町に流れる曽我川と飛鳥川。
この二つの川に挟まれた一画に富貴寺があります。



お寺周辺へ着いたのは、拝観予約時間の30分以上も前。
まずはお寺を確認しようと曽我川の川べりを歩いていたのですが、正確な位置がよくわかりません。
辺りをウロウロしていたところ、前方から年配の男性がいらっしゃったので、富貴寺までの道を伺うことにしました。

するとその男性は私の顔をじっと見つめ、
「ひょっとしてあなた、電話で予約した千葉の人?そろそろ来ると思って待ってたよ」とおっしゃるではないですか。
なんと約束の30分も前から、私のことを待ってくださっていたのでした。



寺伝によると、富貴寺は創建を平安初期にまで遡るという古刹で、本堂は重要文化財に指定されています。
私が川べりで偶然お会いしたのは、現在お堂を管理なさっている地元の方でした。



お堂に入ると正面に釈迦如来、その横に地蔵菩薩が安置されていました。
お釈迦様は藤原期の作で、像高96.3cm。ヒノキの寄木造です。
繊細な指先が、非常に優美な印象を与えています。
(川西町HPの写真はコチラ)

だいぶ色が薄くはなっているものの、尊像の後ろの壁には絵が描かれていました。
かつては極彩色の華やかな光景が広がっていたに違いありません。
しかし下の方は真っ黒で、絵が消えてしまっています。
この富貴寺は曽我川の近くにあるため、川が氾濫すると、お堂の上まで浸水してしまっていたのだそうです。

しばらくすると、たまたま自転車で境内を通り過ぎようとした別の地元の方が私たちに気づいて、「おお!お客さんか」と仰いながら堂内に入ってきました。
そこからは和気あいあいとした楽しい時間。
お二人にお寺の歴史や仏像についてのお話を詳しく伺うことができました。

私が「小顔でハンサムなお釈迦様ですねえ」と申し上げると、
二人とも「うんうん、その通りだ」と笑いながら返してくださいます。

優しいお顔のお釈迦様の前で、ニコニコ笑いながら、3人でお喋りをしました。
何百年もの間、この地で仏様を大切に守ってきた地元の方たち。
私もちょっとだけ仲間に入れていただいたようで、幸せな気分でした。

2010.11.7

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