新光明寺(静岡)・快慶の阿弥陀如来

宝台院から歩いて新光明寺別院へ向かいました。
静岡駅から数分程のはずですが、なかなか場所がわかりません。



電話で道を伺ったところ、なんとお寺はとても近代的なビルの中にありました。



寺伝によると、新光明寺は創建を鎌倉時代にまで遡るという古刹です。



ご本尊は鎌倉時代の有名な仏師・快慶の作と伝えられている阿弥陀如来。



宝台院の阿弥陀様と比べると、男性的で意思の強そうなお顔です。
光背は近年になって造られたものだそうですが、尊像とうまく調和していて、違和感は全くありません。



新光明寺の伽藍や文献のほとんどは焼失してしまったため、詳しいことはわかっていないものの、かつては静岡市伝馬町一帯に大伽藍が広っていたようです。
現在お寺は別の土地に移転しており、跡地の一部に別院が建てられました。

ビルの中の阿弥陀様は数奇な運命をたどられたのですね。

2011.4.30
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宝台院・徳川家の阿弥陀如来



静岡県静岡市。
かつて駿府城が築かれ、江戸の大都市として繁栄した街です。
徳川家康は今川家の人質時代をこの地で過ごし、隠居後に再び戻ってきて、幕府の政治の実権を握っていました。



宝台院はJR静岡駅から歩いて10分ほどのところにあります。
1940年の大火で焼失してしまったため、現在のお堂はコンクリート製の近代的な建物です。

拝観のお願いをしてお堂へ入れていただくと…。



美しい阿弥陀様がいらっしゃいました。

像高99.5cmで鎌倉時代の作。
白本尊と呼ばれており、芝増上寺の黒本尊とともに、家康公の守り本尊であったと伝えられています。
元々は駿府城に安置されていましたが、家康没後、2代将軍秀忠により宝台院に寄進されました。
お寺の名も秀忠の母君の法号である宝台院に由来しているそうです。



優しいお顔を拝していると、秀忠公の母君に対する愛がひしひしと伝わってくるかのよう…。



鎌倉時代の仏師、快慶の作という説もあるそうですが、一分の隙もない立ち姿は、その可能性も十二分にあると感じさせます。



境内には可愛らしい仏様がいらっしゃいました。

2011.4.30

摩訶耶寺(静岡)・遠江の平安仏

遠江は静岡県西部に広がる一帯。
古くは遠淡海と記されており、これは浜名湖に由来していると言われています。



早朝の浜名湖を訪れました。
湖面は遥か彼方まで広がり、まさに海のよう…。



この遠江きっての古刹が摩訶耶寺です。
創建は平安初期にまで遡るとされ、数多くの寺宝が残されています。

宝物館には三体の仏像が安置されており、阿弥陀如来(平安後期)、不動明王(鎌倉時代)、千手観音(平安中期)の三尊が並ぶ様子はまさに圧巻でした。

なかでも特に印象的だったのは、平安中期の千手観音像です。
像高151cmで檜の一木造。
下膨れのお顔には僅かに彩色が残っていました。
かつては美しい白肌をなさっていたのでしょう。
その神秘的な眼差しは、浜名湖の静かな美しさにも重ね合わせられるようでした。



庭園は鎌倉時代初期に作庭されたと推定されており、これは全国でも屈指の古さだそうです。



境内には石仏が並んだ一画がありました。



石仏の千手観音。
脇手の掌が体へ直に付いています。
なんだか羽みたいで可愛らしいですね。



小さな祠を見つけました。



中にいらっしゃったのは不動明王。
手には羂索が握られています。
石仏に縄を直接握らせるだなんて、とても面白いですよね。

2011.4.30

北条寺(静岡)・遊戯坐の観音像

静岡県・伊豆の国市。
かつてこの辺りは鎌倉幕府執権を担った北条氏の本拠地であったそうです。
その伊豆の国市にある北条寺を参拝してきました。



拝観のお願いをして本堂へ。



鎌倉時代の阿弥陀様。
慶派仏師によって造られたと伝えられており、写実的で洗練されたお姿です。



そしてその隣にはご本尊である観音様がいらっしゃいました。
こちらは南北朝時代の作。
椅子に座り左足を下ろす遊戯坐と呼ばれる坐り方をなさっていて、これは宋代の絵画の影響を受けているそうです。
くつろいだ様子がとてもお美しいですね。



下膨れのお顔はいかにも優しげで、静かに物思いにふけっていらっしゃるようでした。

2011.4.29

修善寺(静岡)・温泉のまちの如来像



伊豆市修善寺は、言わずと知れた伊豆半島きっての温泉街です。
この修善寺温泉の名が、街の中心にあるお寺・修善寺に由来していることは、意外と知られていません。



街中に足湯を楽しめる場所がありました。
温泉の街らしい、長閑な光景ですね。



修善寺。
寺伝によると、平安時代に空海によって創建されたとされています。
鎌倉幕府2代将軍の源頼家が幽閉され、後にこの地で殺害されたことでも有名です。

本尊は実慶作の大日如来坐像ですが、秘仏のため、拝観できるのは秋の開帳日のみ。
この日は御簾越しに朧げな輪郭を確認することができました。



こちらは本堂から道を隔てて少し離れたところにある指月殿で、非業の死を遂げた源頼家の冥福を祈り、北条政子が建立したお堂です。
人で賑わう本堂とは対照的にひっそりと静まりかえっており、中をのぞいてみると…。



見事なお釈迦様です。
像高203cmで鎌倉時代の作。
お釈迦様としては珍しく、右手に蓮の花を持っていらっしゃいます。

 

両脇にはユーモラスな仁王像も安置されていました。
なんだか可愛らしいですね。

2011.4.29

金龍院(静岡)・二体の平安仏

瑞林寺を参拝した後、伊豆半島へ。



GW初日だったため道は大渋滞!
修善寺方面から狩野川の流れを眺めながら進んでゆくと、やがて金龍院に辿り着きました。



こちらのお寺には二体の平安仏が安置されています。



千手観音です。
平安後期の檜材一木造。
脇手は真っすぐ放射状に広がっています。
斜めに付いた化仏が珍しく、まるでシャンプーハットを被っているかのよう。
素朴なお顔と相まって、実に可愛らしい印象です。



その隣には不動明王。
こちらも平安後期の檜材一木造。
独特な形の火焔光背が特徴的でした。

お寺の方のお話によると、どちらの尊像も以前は違うお寺で祀られていたのですが、廃仏毀釈の際にこちらの金龍院へ移されたのだそうです。



境内の石仏は苔生して、風化が進んでいます。
歴史の重みを感じさせますね。



2011.4.29

瑞林寺(静岡)・玉眼の地蔵菩薩

先日、約1年ぶりに静岡へ行ってきました。

旅のスタートは、静岡県・富士市にある瑞林寺。
平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した仏師、康慶が造った地蔵菩薩像が安置されていることで有名なお寺です。



康慶はかの有名な東大寺南大門・金剛力士像を造った運慶の父であり、自身も興福寺・南円堂の諸仏の造像にあたった、才能溢れる仏師でした。



憧れのお地蔵様はこちらの収蔵庫にいらっしゃいます。



平安時代末期の寄木造。
胎内の銘には、1177年に大仏師法橋康慶の作であることが記されているそうです。



若々しく引き締まった体躯。
理知的な玉眼の瞳。
衣文は流れるような線を描いており、破綻なくまとめられていました。



康慶の息子や弟子たちは、やがて慶派という仏師の一派を形成し、鎌倉彫刻の主流となってゆきます。
この力強く、躍動感あふれる尊像を拝していると、新たに到来する武士の時代の息吹きを感じるようでした。

2011.4.29

桃太郎神社(愛知)・浅野祥雲 meets 桃太郎伝説 (2)



ぺったん、ぱったん。
階段を上ったところでお爺さんとお婆さんがキビ団子を作っていました。



「ワン!」「キーッ!」「クエーッ!」
さあ、犬・猿・キジを連れて、いざ鬼ヶ島へ!!



「ギャーッ!参ったぁ!」
赤鬼が降参しています。



もちろん退治したのは、勇敢な桃太郎。
何だか隣の犬が普通に飼い犬っぽいのが少し気になりますが…(笑)



よっ!日本一っ!!
財宝を携え、故郷へ凱旋です。



あらあら。
青鬼が泣いてしまっています。



境内の隅では赤鬼も泣いていました。
実はこの赤鬼、目から水滴が垂れていて、本当に涙を流しているかのように見えるのです。
いかにも浅野氏らしい、心憎い演出ですね。



一番上の拝殿の鳥居は、何と桃の形をしていました。
斬新なデザイン…。



そしてこの桃太郎神社で最も有名なのが、この鬼。
実に和やかな表情です。
「やさしい鬼です。背中へどうぞ」



もちろん私も乗せていただきました(笑)

浅野作品の素晴らしさは、像そのものの完成度もさることながら、物語性やメッセージ性が強く感じられることにあると思います。
そして作品の根底には常に優しさが溢れているということも…。

ほっこりするような温かい気持ちに浸りながら、桃太郎神社を後にしたのでした。

桃太郎神社(愛知)・浅野祥雲 meets 桃太郎伝説 (1)

愛知県・犬山市にある桃太郎神社へ行ってきました。



有名な桃太郎伝説の残るこの神社の境内には、桃太郎の世界を再現したコンクリート像が多数配されています。
そしてそのコンクリート像の作者こそ、このブログにも度々登場している、昭和を代表するコンクリート像作家・浅野祥雲なのです。
憧れの神社への参拝に、思わず力が入ります。



「いらっしゃ〜い
いきなりユーモラスな赤鬼がお出迎えしてくれました。





鎧を身に着けた雉と犬。
キリッとした表情が凛々しいですね。



おや?
川へ洗濯しに行ったお婆さんが、大きな桃を拾ったようです。
「よっこらしょっと!」
お婆さんが桃を切ってみると…。



ジャーン!!!
桃から生まれた桃太郎!

桃の付いた鳥居の前に堂々と立つ姿は、圧倒的なまでの存在感に満ち溢れています。



階段の途中には、芝刈りに行ったお爺さんがいらっしゃいました。
さぞかし桃太郎の誕生にビックリなさったことでしょうね。

(続く)

乙津寺(岐阜)・甲冑を纏った韋駄天

岐阜市にある乙津寺は、地元の人々から鏡島弘法と呼ばれて親しまれているお寺です。



昔々、嵯峨天皇の勅命を受けた空海は、乙津島という孤島へ赴きました。
空海が龍神に鏡をかざしたところ、あたり一面の蒼海が桑田に変わったため、この地は鏡島と名付けられたと伝えられています。



拝観のお願いをしてお堂の中へ。
堂内の中央には本尊の千手観音、両脇に毘沙門天、韋駄天が安置されていました。
いずれも国の重要文化財の指定を受けています。

中でも特に印象深かったのは韋駄天です。
(岐阜市HPの写真はこちら)
像高78cmで鎌倉時代の作。
韋駄天は走力に優れ、邪神を速やかに除く力を持つとされている神様です。
あまり造像例は多くないため、これほど古い時代の大きな像を拝するのは初めてでした。
甲冑を身に纏い、合掌した両手で宝剣を捧げるお姿は、とても凛々しく見えます。

1945年の空襲により、乙津寺は伽藍のほとんどを焼失してしまいました。
仏像は近くの長良川に運び出され、かろうじて難を逃れたそうです。
幾多の困難を乗り越え、こうして今も私が尊像を拝することができるのは、守り続けた沢山の方々がいらっしゃるからなのだと強く感じました。

2011.4.18