仏像ファン的古寺巡礼

仏像への愛を書き綴った、仏像ブログです。

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ちー

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読書と音楽、そして仏像をこよなく愛しています。

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会津へ行ってきました 2011-07-31-Sun

先日テレビを見ていた時、大震災以降の福島県、特に会津地方の観光問題が取り上げられていました。
風評被害で観光客が激減してしまい、地元の経済が大打撃を受けているという内容です。
会津地方といえば、東北初の国宝仏である勝常寺・薬師如来様がいらっしゃる、まさに仏像ファン憧れの地。
このニュースを見た瞬間、私の中で閃いたのでした。

「そうだ。会津へ行こう!」

思いついたら居ても立っても居られません(笑)。
早速、会津へ行ってきました。



雄大な磐梯山、力強い御仏たち…。
今も色鮮やかに胸に蘇ってきます。

訪れたお寺+αはこちら。
願成寺→上宇内薬師堂→恵隆寺→勝常寺→明光寺→鶴ヶ城→法用寺→弘安寺

前回まで九州見仏の記事を続けていましたが、少し休憩して、次回から3回に分けて会津見仏のことを書く予定です。

また、ここ数日の豪雨による会津地方での多大な被害の報道を見るたび、とても胸が痛みます。
一日も早く、元の美しい風景が戻って来ますように…。
被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

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臼杵磨崖仏(大分)・荘厳な石仏世界(2) 2011-07-28-Thu



鮮やかな緑の間を抜けて、先へ進みます。



山王山石仏が見えてきました。



中にいらっしゃったのは平安後期の如来様。
指先を失っているため尊名は不明ですが、中尊は釈迦如来もしくは薬師如来ではないかと言われています。



中尊の像高は266.7cm。
あどけないお顔が実に可愛らしく、通称「かくれ地蔵」と呼ばれているそうです。
穏やかで、いかにも地方仏らしい素朴さを持つこの如来様が、数多くの臼杵磨崖仏の中でも一番好きになりました。



さあ、最後は臼杵磨崖仏で最も有名な古園石仏です。



大日如来を中心に、全部で13体もの尊像がずらりと並ぶ様はまさに圧巻。
いずれも平安後期の作と推定されています。



かつて中尊の大日如来は破損が激しく、頭部は崩れ落ち、体の下に置かれたままになっていました。

 ※修復前の写真

ところが昭和の大修復の際、元の姿に戻すべきという意見と、地上に置かれた頭部はそのままにすべきという意見との間で激しい論争が起きたのです。
それは市を二分するほどの大論争であったといいます。



最終的に国の指針を受け、頭部は大部に接合され、現在の形に修復されたのでした。



美しい緑に囲まれた臼杵磨崖仏。
木彫仏が主流の日本では珍しい石仏でありながらも、御仏たちは優しく穏やかで、やはり日本的な文化を強く感じました。

2011.5.27

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臼杵磨崖仏(大分)・荘厳な石仏世界(1) 2011-07-25-Mon

大分県臼杵市・臼杵磨崖仏は、日本屈指の規模を誇る磨崖仏であり、九州地方唯一の国宝仏として名を馳せています。
そして今回の九州見仏の一番の目的は、数年来憧れ続けてきた、この臼杵磨崖仏を参拝することでした。



磨崖仏までは大分市内から車で40〜50分ほど。
周辺には豊かな緑が広がっています。



朝一番だったため、私の他に参拝者は誰一人としていませんでした。
緩やかな坂道を登って行くと…。



ホキ石仏第二群が見えてきました。
臼杵磨崖仏の石仏群は元々風雨に曝されていましたが、昭和31年から大規模な修復が行われ、現在は周りを立派な建物が覆っています。



実際に石仏を目の当たりにしてみると、想像以上の迫力と緻密さに息を飲みました。



平安後期の阿弥陀三尊像。
中尊は像高279cmの丈六仏。脇侍も260cmほどあります。



定朝仏を思わせるような品のあるお顔で、その繊細な美しさは、思わずこの尊像が石から彫り出されたことを忘れさせてしまうほどです。



さらに先に進み、ホキ石仏第一群へ。



地蔵菩薩と十王像。
十王信仰の流行した時期などから、鎌倉時代の作と推定されています。



こちらはホキ石仏第一群を代表する如来三尊。
(左)薬師 (中)阿弥陀 (右)尊名不明(←釈迦?)
平安後期の作で、釈迦入滅後の時代を三区分した三時思想に基づいて造像されたという説があります。





第一石仏群には他にも様々な像が岩壁から掘り出されており、一面に荘厳な御仏の世界が広がっていました。

(つづく)

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両子寺(大分)・石造の仁王像 2011-07-22-Fri

この日最後のお寺、国東市の両子寺へ。



悪天候のため山々には靄がかかっていて、それがとても幻想的な雰囲気を醸し出していました。



先へ進むにつれ靄はどんどん濃くなり、やがて数メートル先すら見えないほどに。
恐怖の気持ちが湧きあがると同時に、両子山の胎内に入って行くような、不思議な感覚を覚えました。



両子寺は六郷満山の中山本寺で、国東の多くの寺院と同じく、養老2年(718年)に仁聞によって開創されたと伝えられています。
江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、六郷満山の総持院として全山を統括しました。

そしてこのお寺で特に有名なのが、石で出来た仁王様。
国東半島では石造の仁王像が非常に多く、半島内で130を超える数が確認されているそうですが、中でも両子寺の仁王像は最大級で、像高が230cmもあります。

 

1814年の作と伝えられ、その力強さや造形の美しさから、国東を代表する仁王像として知られています。



お堂は緻密な石垣の上に建っていました。
まるでお城のようですね。

2011.5.26

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無動寺(大分)・岩壁の寺院 2011-07-19-Tue

豊後高田市にある無動寺は、養老2年(718年)に仁聞によって創建されたと伝わる古刹です。
最盛期には12の末寺を擁し、六郷満山の中山本寺として栄えました。



お堂は黒土耶馬と呼ばれる岩壁の前に建っているのですが、その岩壁がとにかく凄い!
この写真ではわかりにくいので、ぜひコチラのサイト(⇒)をご覧ください。
背後は息を飲むほどの大絶壁なのです。



そして本堂には、大分県内でも屈指の数を誇る仏像群が安置されています。
その数なんと16体。
量感あふれる尊像がぎっしりと並んでいらっしゃる様は圧巻です。



本尊の不動明王(平安後期)は桧の一木造で、像高115.8cm。
霊験あらたかなお不動様として、篤い信仰を集めてきました。

 

 



堂内の尊像の多くは平安時代から鎌倉時代の作と推定されており、そのほとんどが県の文化財に指定されています。同じ尊格がいらっしゃったり、大きさがまちまちであるため、昔は別々のお堂で祀られていたのかもしれません。
かつて岩壁の前には数多くの堂宇が建ち並んでいて、とても壮観な眺めだったのでしょうね。

211.5.26

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長安寺(大分)・みずらを結った神様 2011-07-16-Sat

真木大堂を出発し、長安寺へ。



こちらのお寺には太郎天という珍しい神様がいらっしゃいます。
(写真はコチラ)
太郎天とは六郷山の守護神であり、さらには不動明王の化身でもあるとされている、神仏習合の神様。
胎内の銘には、1130年に六郷山の僧や宇佐八幡宮神官により造像されたことが記されているそうです。

そしてこの神様で特に珍しいのが、みずら(髪を頭の中央から左右に分け、両耳の辺りで先を輪にして緒で結んだもの)を結っているという点。
平安時代以降、みずらは主として少年の髪形であったため、この太郎天は若い神様として造像されたのかもしれません。
端正なお顔立ちの太郎天に対し、脇侍の二童子はいかにも可愛らしく、快活な感じがしました。



長安寺は六郷満山の中山本寺であり、鎌倉時代には100以上もの寺院を統括したという古刹です。
太郎天像は明治期に神仏分離が行われるまで、この寺の背後にある六所権現社の主神として祀られていました。



権現社を目指して山道を上ることしばし…。



杜の中は木々の発する神聖な空気に包まれているようでした。

2011.5.26

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真木大堂(大分)・日本最大の大威徳明王 2011-07-13-Wed

豊後高田市の真木大堂は、六郷満山の本山本寺であった伝乗寺の堂宇の一つとされる古刹です。



六郷満山とは国東半島にある寺院群の総称で、六郷は半島が6つの郷からなっていたことに由来しています。さらに半島の寺院群は、学問をする本山、修行をする中山、布教をする末山の3つに分けられ、これらは合わせて満山と呼ばれていました。

六郷満山の寺院の多くは仁聞菩薩が養老2年(718)に開いたという縁起を持っており、菩薩は半島に28の寺院、6万9千体の仏像を造ったと伝えられています。
実際には、古来から国東半島にあった山岳信仰が天台宗や八幡信仰と融合し、神仏習合の独特な山岳仏教文化が形成されたようです。



ユニークな石仏がお出迎え。



重要文化財の仏像はこちらの収蔵庫に安置されていました。
まず目に飛び込んできたのは巨大な大威徳明王。
(写真はコチラ)
像高165.3cm。日本最大の大威徳明王です。

大威徳明王は六面六臂六足で、水牛の背に乗る密教の尊格。
この真木大堂の尊像は、忿怒相ながらも藤原仏らしい優美さを併せ持っており、大きさのみならず、その優れた作風においても日本屈指の大威徳明王とされています。

収蔵庫内には他にも阿弥陀如来(写真はコチラ)、不動明王及び二童子(写真はコチラ)などが立ち並び、濃密な空間が広がっていました。



旧本堂。
かつて収蔵庫の尊像はこちらの本堂で祀られていたそうです。



真木大堂の近くで磨崖仏の前を通り過ぎました。



風化が激しいものの、不動明王や毘沙門天が彫られていることがわかります。
ここ国東では道のあちこちで石仏や磨崖仏を目にすることができ、そうした偶然の出会いが、とても感動的でした。

2011.5.26

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熊野磨崖仏(大分)・鬼が造った階段 2011-07-10-Sun

小武寺を出発し、国東半島内部へ。
豊後高田市の田原山にある熊野磨崖仏の入口に辿りつきました。



熊野磨崖仏が位置しているのは、今熊野山胎蔵寺近くの熊野神社境内。
磨崖仏までは石の階段を登って行きます。



階段というより、ゴツゴツした石が無造作に転がっているかのよう。
鬼が一夜にして積み上げたという伝説が残っているのだとか。
とても面白いですよね。
雨で足元が滑るため、慎重に一歩一歩登って行くと…。



岩壁に巨大な磨崖仏が刻まれていました。

何と像高は左の不動明王が8m、右の如来像で6mにもなります。
制作時期は平安中期から後期と推定されていますが、その作風から如来像の方が制作年代が下がる可能性が高いそうです。





国東半島にはこのような磨崖仏が各地に点在しており、この見仏旅行でも偶然車で通り過ぎることが度々ありました。
大規模な磨崖仏の多くは柔らかく加工しやすい熔結凝固灰岩に彫られており、そういった岩が豊富にあることが、石の文化を育んだ土壌になっているようです。

2011.5.26

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小武寺(大分)・木彫の倶利迦羅竜剣 2011-07-07-Thu

大分県・国東半島。
古よりこの地では、山岳信仰や天台宗、宇佐八幡の八幡信仰などが融合した「六郷満山」と呼ばれる仏教文化が花開いてきました。
半島の各地には数多くの寺院や磨崖仏が点在し、長い時間をかけて発展してきた国東地方独自の文化を目にすることが出来ます。

その国東半島のちょうど付け根部分に位置する、杵築市の小武寺を参拝しました。



山門の前にいらっしゃったのは石の仁王様。
後に半島の各所でこのような像を目にすることになるのですが、いかにも石の文化を持つ国東らしい、力強い仁王様です。



この日の天気は土砂降りの雨でした。



拝観をお願いした時刻より早く到着したため、境内を一人で歩いていると、とても大きな石塔を見つけました。
国東塔とよばれるこの石塔は、塔身下部と基礎の間に蓮弁を彫刻した台座を入れており、国東地方独自のものだそうです。



やがて地元の方がいらっしゃったので、本堂と収蔵庫の中へ入れていただくことに。
大きくて立派な収蔵庫は、仏像が国の重要文化財に指定されたことを受け、新たに本堂の向かい側に建設されました。
そしてその中には…。

「わぁ…!」
思わず声をあげてしまうほど、不思議な不思議な仏様がいらっしゃったのです。
(写真はコチラ)

倶利迦羅竜剣。
竜が巻きつく炎に包まれた剣であり、単独で磐石に突き立った姿は、不動明王の化身とされています。

牙をむいて剣に噛みつき、大きく見開いた目は獰猛そのもの。
像高177.3cm、平安時代の作です。
ひょろりと細長い体はまるで貂のようにも見え、強烈なインパクトを放っていました。
過去にも金属製の倶利迦羅竜剣を拝したことはありますが、木彫の像は今回が初めてです。
ましてや重要文化財に指定されている木彫の倶利迦羅竜剣は全国的にも他に例がないでしょう。




収蔵庫の外では雨が降り続き、ざあざあという音が聞こえていました。

「せっかく遠くから来てくれたのに、あいにくの雨で本当に残念でしたね。でも農家の私たちにとっては恵みの雨でもあるんですよ」
色々と親切にしてくださった地元の方のお言葉が今でも忘れられません。

境内の周りに広がる美しい田園風景。
山々はしっとりと雨に濡れ、優しい緑色をしています。
龍は雷雲を支配するため、小武寺の不思議な倶利迦羅竜剣は、五穀豊穣を祈念する信仰を受けていたと考えられているそうです。

恵みの雨の降る日に尊像を拝することができたのは幸せなことなのかもしれない。
そう思いながら、その不思議なお姿をじっと見つめていました。

2011.5.26

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熱海城(静岡)・仏師 浅野祥雲(2) 2011-07-04-Mon



せっかくなのでお城の中にも入ってみることにしました。



入口に巨大なシャチホコが!
これは実際にお城に付けられている本物を模したレプリカだそう。

そしてこの熱海城のシャチホコこそ、浅野祥雲が造ったものなのです。
何と日本一の大きさなのだとか。
流石は浅野氏、スケールが違います。



この大黒様も浅野氏の作品。
ラブリーですね。



奥へ進むと、鎧兜が展示されていました。



お城の中はクイズコーナーやらゲームセンターやら、ありとあらゆるものが混在するカオス世界。



最上階からは美しい熱海の街が見えました。
これは掛け値なしに美しい景色です。



お城を出て、上を見上げると浅野氏作のシャチホコが鎮座していました。

祥雲先生、これからもあなたを追いかけます!
熱い想いを抱きながら熱海城を後にしたのでした。。。



そうそう。
帰り間際、聖徳太子像を見つけました。
蔦が絡まって物凄い迫力…!

2011.4.29

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熱海城(静岡)・仏師 浅野祥雲(1) 2011-07-01-Fri

静岡県熱海市にある熱海城に行ってきました。



熱海城は昭和34年、熱海市の錦ヶ浦山頂に建てられた観光施設です。
天守閣を模した鉄筋コンクリート製の建物内には、ゲームセンターや城郭資料館、仮装写真館などが併設されています。

仏像ファンの私が何故お城に…?
実はこの熱海城、昭和を代表するコンクリート像作家・浅野祥雲の作品が多数残されているのです。
氏の作品はこのブログにも度々登場しているので、記憶に残っている方もいらっしゃるかもしれませんね。

浅野作品はお城の各所で見ることができます。



まずは七福神。
賑やかで楽しそう!



阿弥陀如来と大日如来です。

熱海城の浅野作品の特徴は、仏像が多いということ。
数多くのコンクリート作品を手掛けた浅野氏の最終目標は、コンクリート仏師になることにあったのではないか。そう感じさせるほどのクオリティの高さです。

 

こちらはカラフルな普賢菩薩と文殊菩薩。
さらに奥へ進むと…。



出たー!
十二神将です。
これは明らかに奈良・新薬師寺の十二神将を意識しているものと思われます。



残念ながら駐車場の隅に追いやられた作品たちですが、今も見る者の心を惹きつけてやみません。
数十年の時を超え、浅野氏の情熱が放たれているようです。



祥雲先生、あなたの作品は今、自然に還ろうとしています。
諸行無常…。

(続く)

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