浄真寺(東京)・お面かぶり

世田谷区の浄真寺は、私が都内で特に好きなお寺の一つです。
9体の阿弥陀如来像が安置されていることから、九品仏と呼ばれており、最寄り駅である東急大井町線の九品仏駅の由来にもなっています。



その浄真寺で3年に1度行われる、「お面かぶり」と呼ばれる仏教行事を見に行ってきました。



「お面かぶり」は正式名称を「二十五菩薩来迎会」といい、都の無形文化財にも指定されている、伝統ある仏事です。
菩薩面をかぶった人々が、本堂と上品堂の間に渡された橋を往復するというもので、これは菩薩が来迎する様を模しているのだそう。



開始時間の30分以上前に着きましたが、境内は多くの参拝者で賑わっていました。



こちらは本堂のお釈迦様。



橋の向こうには…。



阿弥陀様がいらっしゃいました。



カメラを握り締め、緊張しながら待つことしばし…。



着物を着た方々が本堂から上品堂へ歩いて行きます。
どうやらこの方々がこれから菩薩面をかぶるようです。
そして行列が上品堂へ入り、再び出てくると…。



おお!!
菩薩様の行列です。
神秘的な面持ちで、しずしずと厳かに本堂へ向かっています。



こちらのお方は指先で来迎印を結んでいるので、阿弥陀様でしょうか。



行列は本堂へ入り、折り返して再び上品堂へ。
すると今度は後ろから…。



可愛らしい稚児行列が続きます。
綺麗な着物を着て、最高の晴舞台ですね。

最後に菩薩面を取った方々が再び本堂へ向かい、感動のフィナーレ

3年後は是非とも私もお面をかぶりたい!
そう思いながら、九品仏をあとにしたのでした。

2011.8.16
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天念寺(大分)・川中不動



この日のラストは豊後高田市の天念寺。
他の六郷満山の寺院と同じく、718年に仁聞菩薩によって創建されたと伝えられる古刹です。



川沿いにお堂があり、その中にいらっしゃったのは…。



素朴で優しげな御仏たちでした。
お堂は綺麗に整理されていて、今も地元の方に大切に守られているということがよく伝わってきます。
堂内に入ると自動的にテープレコーダーが動き出す仕組みになっており、お寺や仏像の説明を聞きながら、しばらく座りこんでいました。

そしてこの天念寺で特に有名なのが無明橋です。



赤い矢印の先にある橋がおわかりになるでしょうか?
何と断崖絶壁の上に橋がかけられているのです。(こちらのHP()に詳しく載っています)
この橋を渡ることが修行のひとつになっているらしいのですが、思わず足がすくんでしまいそう…。

さらにお寺の前に流れる川には、「川中不動」と呼ばれるお不動様がいらっしゃいます。
その理由は…。



川の中の巨岩に不動明王と二童子が!
室町時代、川の氾濫をおさめるために彫られたと伝えられているそうです。



天念寺の周辺は、奇岩・巨岩がそびえ、天念寺岩峰と呼ばれており、六郷満山の修行の場として栄えていました。
今も地元の方に大切に守られている御仏たちは、温かく、個性的で、お堂を中心に不思議な空間が広がっているようでした。

2011.5.27

富貴寺(大分)・国東の浄土世界

奈多宮を参拝していたあたりから、ずっと降り続いていた雨が小降りになってきました。

うまく行けば晴れるかもしれない。
そう期待しながら、車で国東半島の山間部へ。
瑠璃光寺を参拝し終えた頃、雨は完全に止んでいました。

「やった!」
目指すは豊後高田市の富貴寺。



実はこの前日にも富貴寺を訪れていたのですが、雨が降り(※阿弥陀堂内部は雨天時参拝休止)、阿弥陀堂の参拝はかなわなかったのです。
泣く泣く諦めていた為、思いがけない晴れ間に心が躍りました。



国宝の阿弥陀堂は、平安時代後期の阿弥陀堂建築の数少ない遺構の一つで、九州に現存する最古の仏堂として知られています。
山岳信仰が盛んな六郷満山の寺院の中では珍しい、浄土教色の強い建物です。

緊張しながらお堂に入ってみると、目の前に広がっていたのは、御仏の優美な浄土世界でした。
(写真はコチラ)

四方の壁に四仏浄土図が描かれ、その中心には美しい阿弥陀様がいらっしゃいます。
像高85cm、藤原時代の作です。
丸いお顔に切れ長の目、小さな口が上品で、とても優しげに見えました。
末法思想が流行した平安時代、人々はこの阿弥陀様にどれほど憧れ、救いを求めていたことでしょう。



堂内に座り込み、一人で尊像を見つめることしばし…。
また少しずつ降り始めた雨の音が聞こえてきて、阿弥陀堂をあとにしました。

2011.5.27

奈多宮(大分)・海辺の神様

大分県の奈多海岸は伊予灘に面して南北約2kmにわたる白浜で、日本の白砂青松100選にも選ばれている、風光明媚な場所です。



その奈多海岸のほぼ中央に位置する、八幡奈多宮を参拝してきました。



奈多宮は神亀6年(729年)の創建と伝わる由緒ある神社であり、宇佐神宮の旧神体とされる三体の神像をお祀りしています。



お願いをして収蔵庫に入れていただくことに。



正面にいらっしゃったのは、僧形八幡神と二体の女神でした。



いずれも一木造で藤原時代の作と推定されています。

 

神像らしい神秘的な面相と省略された衣文。
像高は50cm前後と小像ながらも、その研ぎ澄まされた美しさは、拝する者の心を魅了します。
収蔵庫内には、凛とした空気が漂っているようでした。



収蔵庫内に並ぶ、沢山の小さな神様たち。
これらの尊像が、すぐ近くに広がる海への信仰と深い繋がりを持っているであろうことは、想像に難くありません。



古の人々は、美しい国東の海や山々のあちこちに、神や仏を見出していたのでしょうね。

2011.5.27

龍岩寺(大分)・岩窟の丈六仏

宇佐神宮を出発し、同じ宇佐市の龍岩寺へ。



お寺の周囲には長閑な田園風景が広がっていました。



龍岩寺は宇佐屈指の古刹ですが、天正年間にキリシタン大名大友宗麟による焼討ちに遭い、その伽藍の多くを焼失したと伝えられています。
その難を逃れて現在も残っているのが、奥の院とその本尊です。



奥の院までは急な坂道を上ってゆきます。



巨大な岩にくり抜かれたトンネル。
彫るのにどれほど時間をかかったことでしょう。



奥の院が見えてきました。
岩壁に張り付くようにして建つ懸造のお堂は、大分県唯一の鎌倉建築であり、国の重要文化財の指定を受けています。
そしてそのお堂の中には…。



三体の丈六仏がいらっしゃいました。
(写真はコチラ)
左から不動明王(283cm)、阿弥陀如来(293cm)、薬師如来(303cm)の三尊で、その穏やかな面相から、全て藤原時代の作と推定されています。
なんとこれだけの大きさに関わらず、三尊ともに樟の一木造(肩・肘・手首などは別材)なのだそう。

衣文や螺髪は簡略化されており、素地仕上げの木肌はツルツルしています。
そのせいか、あたかも背後の岩壁から掘り出された、巨大な石仏であるかのようにも見えました。
あれこれ思いを巡らせてみるのも楽しいですね。

2011.5.27

大楽寺(大分)・藤原期の弥勒三尊

宇佐神宮から数分ほど歩くと、大楽寺が見えてきます。



1333年に宇佐神宮大宮司の菩提寺として創建され、その翌年、後醍醐天皇により勅願寺に定められたという、格式高き古刹です。
宮司の菩提寺として創建されたことからも、この地で神仏習合の信仰がいかに発展していたかがわかりますよね。



本尊を中心とする重文の仏像群は、こちらの収蔵庫に安置されています。



目の前に広がっていたのは、息を飲むほどに荘厳な光景でした。



中尊は珍しい弥勒仏。
像高143cm、桧の寄木造です。
きめ細かい螺髪と整った衣文。洗練された作風は中央仏師の手によることを窺わせます。

両側には脇侍の大妙相菩薩と法苑林菩薩が安置されていました。
四方を守る四天王とともに、尊像は全て藤原期の作と推定されています。



ほの暗い明かりを受け、神秘的に浮かび上がる御仏たち。
濃密な空間にくらくらしながら、しばし立ち尽くしていました。

2011.5.27

宇佐神宮(大分)・八幡宮の総本宮

大分県宇佐市の宇佐神宮は、全国に四万四千社あるとされる八幡宮の総本宮です。
古より皇室と深いつながりを持ち、奈良時代の僧・道鏡が陰謀を企てた末に失脚した、有名な宇佐八幡宮神託事件の舞台にもなりました。



総本宮にふさわしい、大きな鳥居です。



主祭神は八幡三神と呼ばれ、応神天皇、比売大神、神功皇后が上宮・下宮に祀られています。



こちらは上宮。



奥の本殿は第一殿から第三殿までの3棟で構成されており、建物は国宝に指定されています。



広大な境内には緑が溢れ、静謐な空気が漂っているようでした。
大分県・国東半島の六郷満山と呼ばれる寺院群は、土着の山岳信仰がこの宇佐神宮や天台宗の信仰と融合し、独自の発展を遂げて形成されてきたと言われています。



さあ次は、宇佐神宮大宮司であった到津氏の菩提寺・大楽寺へ向かいます。

2011.5.27

願成寺(福島)・会津大仏

福島県・会津地方北部に位置する喜多方市。
蔵のまちとして知られ、路地裏や郊外の集落にいたるまで、街のあちこちに四千棟余ともいわれる蔵が点在しています。



その喜多方市にある願成寺を参拝してきました。
鎌倉時代に法然上人の高弟が創建したと伝えられる、浄土宗の古刹です。



境内の奥へ進むと大仏殿が見えてきました。



中にいらっしゃったのは見事な阿弥陀三尊像。
いずれも鎌倉時代の作で、国の重要文化財の指定を受けています。



中尊の像高は241cm。
張りのある丸いお顔、キメの細かい螺髪、来迎印を結ぶ繊細な指…。
とても洗練された作風です。



光背には千体仏がびっしりと隙間なく付いており、眩いほど輝いています。
その堂々としたお姿から、会津大仏と呼ばれ、篤い信仰を集めてきました。

  

脇侍の勢至・観音菩薩はそれぞれ像高130cm前後。
跪き、心持ち膝を浮かせて前へかがむ、大和座りという座り方をなさっており、これは往生者を迎える来迎のさまを表しているそうです。
ふっくらとした体躯と優しい眼差しがとても美しく、しばし時間を忘れて見惚れていました。

三尊の煌びやかなお姿に、昔の人々は浄土の世界を目の当たりにする思いだったのでしょうね。

2011.7.15

上宇内薬師堂(福島)・高寺山の薬師如来

福島県会津坂下町と喜多方市の境にある高寺山一帯には、かつて高寺という古刹があったそうです。



上宇内薬師堂はその高寺の堂宇の一つで、高寺荒廃後、平安時代の名僧・徳一により再建されたと伝えられています。
その後、災害等により堂宇は再び荒廃。元禄時代、道安庵主によって、この地へ移されました。
現在は無住寺となっている為、地元の方にお願いしてお堂に入れていただきました。



中に入ると、まず菩薩像、十二神将像が並んでいるのが見えます。
さらに奥へ進み、本尊の安置されている収蔵庫へ。
正面には大きな幕がかけられており、緊張しながら前に座りました。
目の前でサッとその幕が開かれると…。

ほんの数十センチほど先に、見事な薬師様がいらっしゃったのでした。
(写真はコチラ)
像高183cm。平安中期の作と推定されています。
これだけの大きさにも関わらず、なんとケヤキの一木造なのだそう(脚部等は別材)。

上宇内薬師堂の薬師様は、その像容から、勝常寺の薬師如来坐像を模して造られたと言われています。
どっしりとしたお体に衣を通肩にまとっている点、三道を2本の刻線で表している点など、勝常寺の尊像とよく似ている箇所は多いのですが、お顔立ちはより優しげで、また違った魅力を感じました。

お堂を開けてくださった地元の方にはとても親切にしていただき、仏様の素晴らしさとともに、その思い出は深く胸に刻まれています。
仏像にお会いしに行くということは、仏像を守っている方々にお会いしに行くということ。
旅に出ると、いつもそう思います。



長閑な会津の田園風景。
眩しいほど鮮やかな緑と、抜けるような青空とのコントラストが美しく、車を停め、ただ圧倒されながら眺めていました。

2011.7.15

勝常寺(福島)・徳一の薬師如来

奈良時代から平安時代前期にかけて活躍した法相宗の僧に、徳一という人がいます。
初め東大寺で法相教学を学びましたが、20歳頃に東国へ下り、福島県会津地方に住しました。
彼は空海との交流を持つ一方、最澄との間でも仏教論争を繰り広げ、都でも名を知られる学僧でした。



徳一は長年にわたって会津地方で布教を続け、この地に5つの薬師堂を開いたとされています。



そのうちの一つと伝えられるのが、河沼郡湯川村の勝常寺。
東北地方で初めて国宝仏に指定された、平安期の薬師三尊が祀られていることで知られる古刹です。



ご本尊はこちらの薬師堂に祀られています。
お堂へ入って奥を覗くと、中央に憧れの薬師様がいらっしゃいました。
(写真はコチラ)

まず目に飛び込んできたのはゴツゴツとした大粒の螺髪です。
一粒一粒が膨れ上がり、まるで今この瞬間も成長し続けているかのよう。
眼差しは鋭く、唇をキュッと結んでいます。
重厚な衣をまとった体躯は堂々としていて、とても頼もしく見えました。

冬には豪雪が降るという会津地方。
この薬師様は、厳しい冬を生き抜く会津の人々を、何百年も見守り続けてきたのでしょう。



ご本尊以外の仏像の多くは収蔵庫に安置されていました。
脇侍の日光・月光菩薩も、今は薬師様と離れ、こちらへいらっしゃいます。
収蔵庫内には個性溢れる尊像がたくさん安置されていて、会津の仏教文化の豊かさを感じることが出来ました。

2011.7.15