増上寺(東京)・三門御開帳

戦後初めて一般公開された、増上寺(港区)の三門御開帳に行ってきました。



重要文化財に指定されている三門は、正式名称を三解脱門といい、三毒煩悩(貪り、怒り、愚かさ)から離れ、極楽浄土に入る心をつくるための門とされています。



今回特別公開されたのは、こちらの二階部分です。



三門をくぐってみてビックリ!!



境内には開帳待ちの大行列が続いていたのでした。
増上寺へは過去に何度も参拝したことがありますが、このような行列を見るのは初めてです。



1時間強ほど待って、やっと三門内部へ。



急勾配の階段を上ってゆくと…。



二階部分の中央には釈迦三尊像、その左右に8躯ずつ、計16躯の羅漢像が安置されていました。
(⇒釈迦三尊像の写真はコチラ)
中尊の釈迦如来の像高は115.5cm、両脇の普賢・文殊菩薩はともに69cmほど。
いずれも玉眼で漆箔が施されており、今も一部分に残る金箔がきらきらと輝いて非常に煌びやかでした。

そして釈迦三尊の左右にずらりと並ぶ十六羅漢像。
(⇒十六羅漢像の写真はコチラ)
ほぼ等身大の大きさで、全体に美しい彩色が施されています。
ユーモラスな表情をしていたり、びっくりするほど眉毛が長かったり(賓頭盧様は長い眉毛で有名)、それぞれの個性が溢れていて、ずっと眺めていても飽きません。

釈迦三尊像、十六羅漢像ともに、室町末期〜江戸初期にかけて活躍した仏師・宗印一門の手によるもので、造像年代は天正末期から慶長前半と推定されています。



三門内部を拝観した後、本堂をお参りしました。
本堂とその背後にそびえる東京タワー。
いかにも大都会のお寺らしい光景です。

2011.11.23
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慈眼寺(山梨)・一木の薬師如来



南アルプス市の慈願寺に伝えられている、藤原期の仏像群を拝観させていただきました。



お寺の方に案内していただき、本堂の奥へ。
厨子の中には、一木の如来坐像が安置されていました。
像高85cmで藤原前期の作。山梨県の文化財に指定されています。
掌には薬壺がのせられていませんが、お姿を拝するなり、薬師如来ではないかと感じました。



螺髪は元々無かったのか、取れてしまったのか、髪の毛は凹凸が無くツルツルしています。
体の至る所にノミの跡が残り、衣文もシンプルな線で彫られていて、一見すると未完成のような印象も受けました。
如来の特徴である三道や白毫も見られません。
以上のようなことから、この薬師様は、諏訪神社の本地仏として造られたのではないかという説があるそうです。



厨子の横には不思議な尊像が安置されていました。
神像でしょうか。
風化が激しく、詳しい像容はわからないものの、腰を大きく捻って足をクロスさせており、他では見られない不思議なお姿でした。



石仏の六地蔵。
6体仲良く並んだお姿がとても可愛らしいですね

2011.7.23

隆円寺(山梨)・切金の阿弥陀如来

大福寺を参拝した後、南アルプス市の隆円寺へ。



境内からは雄大な富士山が見えました。



この隆円寺には、南アルプス市屈指の仏像群が安置されています。



左から不動明王、十一面観音、毘沙門天。
もとは若草地区の円通院にいらっしゃいましたが、廃寺となったため、隆円寺でお祀りされるようになったそうです。
近年の調査の結果、三尊の造立は平安時代まで遡り、南アルプス市でも最古級の仏像であることが判明しました。



堂内には他にも千手観音、四天王など、様々な仏像が安置されており、そのどれもが個性的な像ばかりでした。
お寺の方に案内していただき、横のお部屋に行くと…。



そこにいらっしゃったのは、美しい阿弥陀様でした。
寄木造で像高41.2cm。鎌倉時代中期の作と推定されています。
この写真では分かりにくいのですが、所々に端正な切金が残っており、造像当時の華やかさを彷彿とさせました。



おそらく中央仏師の手によるものなのでしょう、実に洗練された作風で、上品なお顔だちをなさっています。
この阿弥陀様の頭部には文書が納入されており、仮名文字で浄土往生を願う願文が記されているそうです。
昔の人々の篤い信仰心がよく伝わってきますよね。

2011.7.23

大福寺(山梨)・絹の里の薬師如来

山梨県中央市の大福寺を訪ねました。



お寺の方に案内していただいて、小高い丘を上ることしばし…。



収蔵庫が見えてきました。



中にいらっしゃったのは、見事な丈六の薬師様。
藤原時代の作で像高280cm。県内屈指の大きさだそうです。



大きめの鼻とおちょぼ口が実に可愛らしく、お顔を拝していると、思わず笑みがこぼれてしまいます。



ぺったりとした足の裏も個性的です。



お参りの後、お寺の方のご好意で、お漬物やお菓子をいただきました。
とっても美味しかった〜



境内には「シルクの里」と書かれた、不思議な街灯が建っていました。
この辺りは古くから養蚕が盛んだった為、町興しの一環として、こう名付けられたそうです。
蚕の繭を模した電球がユニークですね

2011.7.23

円楽寺(山梨)・鬼を従えた役行者

安国寺から車ですぐの円楽寺へ。



円楽寺は、甲斐国における修験道の拠点として栄えたお寺です。
こちらに平安期の役行者像が安置されているということで、拝観をお願いしました。



薄暗いお堂の奥へ進むと…。



思わず足がすくみました。
目の前には、かつて一度もお会いしたことがないような、不思議な不思議な鬼が座っていたのです。

 

左右に座る鬼たちは前鬼・後鬼と呼ばれ、修験道の開祖である役行者が従えていたとされる夫婦の鬼です。
筋骨隆々の体躯、丸くて大きな眼。
肘をぐいと張り、前かがみに坐り込む様子は、あたかも体の中から溢れ出る強大なエネルギーを抑えこんでいるようでした。
これだけの鬼たちを従えていた役行者とは一体…?



こちらがその役行者。
延慶2年(1309年)の修理銘を持っていることから、造像はそれより古い平安時代と推定されており、現存する日本最古の役行者像と言われています。
珍しい忿怒相の役行者像です。



その横には、役行者の母と伝えられている像も安置されていました。



お堂を出てみると、抜けるように美しい青空。
異世界から帰って来たような、不思議な感覚でした。

2011.7.23

安国寺(山梨)・足利氏の古刹

南北朝時代、足利氏は後醍醐天皇の菩提を弔うため、日本各地に臨済宗の寺院を建立しました。
それらのお寺は安国寺と名付けられ、禅宗の地方への布教に大きく寄与したと言われています。



甲府市にある安国寺もそのうちの一つで、かつては心経寺という真言宗の寺院でしたが、足利氏により臨済宗へ改宗されました。



拝観のお願いをしてお堂の中へ。



中央の厨子には、鎌倉期のお釈迦様がいらっしゃいました。
像高は1m前後くらいでしょうか。
涼しげな玉眼の瞳がとても印象的でした。



脇侍の阿難、迦葉像は、江戸時代頃の作だそうです。



余談ですが、なんと山門の中に車が駐車されていました(笑)
大きもピッタリ!

2011.7.23

石馬寺 ・ 水牛に乗った大威徳明王 / 湖東編(4)

近江古寺巡礼の旅、最後に参拝したのは東近江市の石馬寺です。



ずっと降り続いていた小雨のためか、山々には靄がかかっており、陽の光を受けてほのかに輝いていました。
長閑な田園地帯を通り抜け、お寺へと向かいます。



やがて本堂へと続く石段が見えてきました。

石馬寺(東近江市)


石馬寺。
聖徳太子がこの山の麓に馬をつなぎ、山上に霊地を探して下山したところ、馬が麓の池に沈んで石と化していたという伝説から、こう名付けられたと言われています。
信長の兵火により一時は荒廃しましたが、江戸時代に臨済宗のお寺として再興されました。

数多くの寺宝が伝えられていることでも有名で、貴重な仏像の多くは、写真右手の収蔵庫に安置されています。
丈六(⇒丈六仏の説明はコチラ)の阿弥陀如来を中心に、十一面観音立像、二天立像、役行者及び二鬼像などが並び、収蔵庫内には濃密な空間が広がっていました。(⇒お寺HPはコチラ)
仏像群はいずれも藤原期から鎌倉期にかけての像で、そのほとんどが重要文化財の指定を受けています。

中でも私が一番惹きつけられたのは、藤原期の大威徳明王。(⇒滋賀県HPはコチラ)
特に明王が乗っている水牛の迫力は凄まじく、右前足を立て、斜め横をジロリと睨みつけており、目が合った瞬間、その獰猛な目付きに思わずドキリとしました。

*石馬寺
   (住所)滋賀県東近江市五個荘石馬寺町823
   (HP)http://www.eonet.ne.jp/~ishibaji/




全てのお寺の参拝を終え、車中から琵琶湖を眺めながら北上しました。
せっかくなので彦根城を訪れてみることにしたのです。

彦根城(彦根市)


彦根城は譜代大名の井伊氏の拠点となった城で、天守閣は国宝に指定されています。



高台に建つお城からは周辺の景色が一望できました。
彦根の街の向こうに琵琶湖が見えています。

古より水路の要衝として繁栄してきた近江。
琵琶湖の周りには人が集まり、最先端の文化が花開き、仏教の隆盛とともに多くの寺院が建立されました。
そしてそこでは仏像が造られ、信仰され、何百年もの間、人々によって守られ続けてきたのです。

豊かな自然のあちこちに、神や仏の存在を見出していた古の人々。
木々の間に清らかな小川を見つける時、路傍で小さな石仏にお会いする時、私たちは近江の人々の息づかいを間近に感じることができます。
そしてそうした瞬間を味わうことこそが、旅をする最大の喜びなのではないでしょうか。

*滋賀県観光情報ホームページ*

百済寺 ・ 石垣の寺 / 湖東編(3)

湖東三山の最も南に位置する百済寺(ひゃくさいじ)。
創建は三山のうちで最も古く、推古14年(606年)、聖徳太子の発願により建立されたと伝えられています。
天台の寺院として大いに栄えましたが、織田信長による焼き討ちの被害を著しく被り、全山焼き払われるという悲劇に遭いました。

百済寺(東近江市)
【仁王門】


真っ直ぐに伸びる杉林の間を歩き、本堂へと続く石段を上って行きます。
境内には静謐な空気が漂っているようでした。
参道の脇には石垣が続いており、かつてはあたり一帯に堂宇が建ち並んでいたことがよくわかります。



さらに石段を上って行くと、本堂が見えてきました。

【本堂】
 
(1650年築。重文)

かつて湖東地方には百済国(朝鮮半島に存在した国)からの渡来人が多く住んでおり、百済の龍雲寺にならってこの寺を建てたことから、百済寺という名がつけられたと伝えられています。
当時最先端の文化がここで花開いていたのでしょうね。
百済寺は度々火災の被害を受けましたが、往時の繁栄ぶりを窺わせる石垣が随所に残り、境内は国の史跡に指定されています。



参道を戻り、喜見院の庭園へ。



庭園の石段を上って高台に立つと、湖東平野を一望することができました。

*百済寺
   (住所)滋賀県東近江市百済寺町323
   (HP)http://www.hyakusaiji.or.jp/


*滋賀県観光情報ホームページ*