ハニベ巌窟院(石川)・地獄の洞窟(1)

平成23年9月20日、宿泊地の金沢からレンタカーで小松方面へ。
かねてからずっと訪れたいと思っていた、某スポットに向かいました。



鼠色の空の下をレンタカーで駆け抜けて行くこと約一時間。
やがて…。



出たーーーっ!!!
辿りついた先には、巨大な大仏の頭部が堂々と鎮座していたのでした。

あまりにも凄まじい存在感に、呼吸をするのさえ忘れてしまいそう…。
説明によるとお釈迦様だそうで、肩から下が無い顔だけの像であることが、却って鬼気迫るほどの迫力を感じさせます。

そしてなんと像高は15m!
これはかの有名な奈良・東大寺の大仏とほぼ同じ大きさです。
ハニベ大仏がいかに巨大であるかを実感していただけることでしょう。
昭和に彫刻家として活躍した、ハニベ巌窟院の初代院主・都賀田勇馬によって建立されましたが、頭部のみが造られた状態で中断され、未完成のまま現在に至っているそうです。
(※ちなみにこの都賀田氏、日展で特選を取ったこともある才能溢れる方だったらしい)

螺髪は細長く、あたかもトコロテンをにゅっと押し出したかのよう…。
そして何より強烈なインパクトを放っているのが、巨大ロボットのように堅固ないかり肩です。
地球の非常事態の際は、大地からメリメリと巨体が出てきて、我々を窮地から救ってくださるのではないか…?
色々と妄想が膨らみます。



近くにもう少し小さめの仏様もいらっしゃいました。
親指をギュッと反らせており、不思議な印相ですが、こちらもお釈迦様でしょうか。
もし大仏が完成していたら、このようなお姿になったのかもしれません。



さあ、入口が見えてきました。
初っ端から強烈な洗礼を受けて既にフラフラですが、いよいよハニベ巌窟院の奥深くへと入って行きます。

ハニベ巌窟院。
まず最初に気になるのは、そのユニークな名前ではないでしょうか。
ハニベとは一体何なのか?

お寺のHPによると…
「ハニベとは、昔の埴輪のような土の彫刻を作る人のことで、現在の彫塑家のことを言う。
 巌窟は洞窟、院は寺を指し、つまりハニベ巌窟院とは、彫塑家のつくった洞窟の寺という意味である」
一般的な呼び方かどうかは不明ですが、おおよそこういうことらしいです。



敷地内では不思議な像があちこちに点在しています。
まさに秘境へ迷い込んできたかのよう…。

(つづく)
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豊財院(石川)・三体の観音像



北陸の旅、最後の目的地である羽咋市の豊財院へ。



豊財院は、鎌倉時代に瑩山紹瑾が能登初の禅修業の場として開創したと伝わる、曹洞宗の禅寺です。
石川県屈指の古仏が安置されていることでも有名で、数年来ずっと参拝を夢見てきました。
憧れの対面に胸が高まります。
拝観のお願いをして、収蔵庫の重厚な扉が開かれると…。



中にいらっしゃったのは、見事な三体の観音様たちでした。
(⇒石川県HPの写真はコチラ)
向かって左から、十一面観音、聖観音、馬頭観音。
いずれも檜の一木造で、像高は170cm前後。国の重要文化財に指定されています。
元は羽咋市志賀町矢駄の観音堂に安置されていましたが、江戸時代に豊財院へ移されました。

重厚感ある一木造ながらも、衣文の彫りが浅いこと、顔立ちが穏やかであることなどから、藤原前期頃の作と推定されています。
全体的に体躯は豊満で、特に顎には豊かな肉が蓄えられており、むちむちした肌の質感が伝わってくるようでした。

中でも特に心を惹きつけられたのは、向かって右端にいらっしゃる馬頭観音様。
頭上に可愛らしい馬頭を頂き、忿怒の表情で前方を睨みつけ、6本の腕をバランスよく伸ばしています。
馬頭観音の造像は少なく、重要文化財に指定されている像は全国でも6体のみとのこと。
豊財院の尊像は特に造像年代が古いため、とても貴重な作例とされています。



3日間にわたる北陸の旅もこれで終わり。
台風などで予定の大幅な変更を余儀なくされたものの、最後に憧れの仏様たちにお会いでき、満たされた気分で空港へ向かったのでした。

2011.9.21

次回からは北陸の旅・特別編として、ハニベ巌窟院編です
雰囲気がガラリと変わりますよ〜(笑)

正覚院(石川)・藤原期の阿弥陀如来

龍護寺を出発し、羽咋市の正覚院へ。



レンタカーのナビで辿りついた先には、とても大きな鳥居が建っていました。
能登国一宮である気多大社の大鳥居です。



目指していた正覚院の入口は、その気多大社のすぐ横手にひっそりとありました。



現在の正覚院は真言宗のお寺ですが、元々は気多神宮寺の一院として創建されたそうです。
そのためこちらのお寺には、明治期の神仏分離の際に気多大神宮寺から移されたという、藤原期の阿弥陀如来坐像が伝えられています。



阿弥陀様はこちらの立派な収蔵庫に安置されていました。
(⇒石川県HPの写真はコチラ)
像高110cmで檜の寄木造。
かつては気多大神宮寺の講堂の本尊であったというこの尊像は、実に洗練された作風で、中央仏師の作であることを窺わせます。
きめ細かい螺髪、端正なお顔が美しく、能登一宮の神宮寺に相応しい、優美な気品に満ち溢れていました。



阿弥陀様をお参りした後、気多大社をお参りしました。



境内には拝殿、本殿など、重要文化財の建物が建ち並び、一宮の格式を十二分に感じされてくれます。
現在は縁結びの神社として、人気が高いようですよ

2011.9.21

龍護寺(石川)・風車のまちの薬師如来

北陸旅行最終日の平成23年9月21日、巨大台風が日本列島に上陸していました。
吹き荒ぶ風雨のなか、レンタカーで能登半島最北端へ。
時折ハンドルを取られそうにながらも車を走らせていると、突然目の前に飛び込んできた光景に愕然としました。

なんと土砂崩れで木が倒れており、道路の車を直撃していたのです。
(※運転していた方は救助されてご無事でした)
あと少し通りかかるのが早かったら…!
思わずぞっとしました。
やむなく引き返し、予定を大幅に変更することに。



台風は時間とともにますます勢いを増してゆきました。
鼠色の雲が激しい雨を田畑に降らせ、ごうごうと風は唸り、まるで空全体が凄まじい怒りに満ちているかのようでした。

稲にとって何よりも大切な存在である水。
その水が今は稲に襲いかかり、激しく揺さぶり続けているのです。
暴力的なまでに田畑に叩きつけられる雨を見て、ふと思い出したのは、その前日に拝した日石寺の不動明王のことでした。

なぜ日本人は忿怒の不動明王を篤く信仰してきたのか。
豊かな恵みをもたらすと同時に圧倒的な厳しさを持つ大自然に、日本人は不動明王の偉大さを重ね合わせたのではないだろうか。
荒れ狂う空の下で車を走らせていると、自然を深く崇拝してきた古の人々の気持ちが、スッと理解できたように思えたのです。



能登半島のちょうど真ん中あたりまで引き返し、志賀町の龍護寺へ向かいました。



お寺付近へ辿り着いたものの、なかなか正確な位置がわかりません。
しばらく右往左往していたところ、巨大な風力発電の風車が現れました。
海近くの高台にあるこの場所は、海風が強く、風力発電に打ってつけなのでしょう。



目指していた龍護寺は、その風車から程近い丘の中腹にありました。



拝観のお願いをして本堂へ。



中にいらっしゃったのは見事な一木造の薬師如来様でした。
像高120cmで平安中期の作。
石川県の文化財に指定されています。
かつては酒見の少彦名神社の本地仏であったと伝えられていますが、明治期の神仏分離の際、こちらの龍護寺へ移されました。



への字にキュッと結ばれた口、少し開き気味の小鼻が実に個性的で、不思議な可愛らしさを持つ薬師様です。
むっちりとした体躯は、いかにも一木造らしい重厚感に溢れています。

ざあざあという強烈な雨音が聞こえるなか、堂内で静かに佇む薬師様を、しばし時間を忘れて見入っていました。

2011.9.21

満願寺(千葉)・太平洋の見える寺(2)

満願寺を出発し、海の方向へ。
ゆるやかな上り坂を進むことしばし…。



太平洋が見えてきました。



こちらは犬吠埼の突端に立つ犬吠埼灯台です。
日本を代表する灯台のひとつで、なんと世界灯台100選にも選ばれているのだとか。
せっかくなので中を入ってみることにしました。



99段の階段を上って行くと…。



眼前に広がっていたのは、青く美しい大海原。
素晴らしい絶景です



余談ですが、海岸付近の岩場を歩いている時に大転倒して、ずぶ濡れになってしまいました(汗)
写真では分かりにくいのですが…。
寒かった〜!



銚子電鉄の旅、最後の目的地は終点の外川駅です。
レトロな駅舎が有名で、ドラマの撮影にも使われたことがあるのだそう。
郷愁を誘う可愛らしい建物ですね。

一日かけて巡った銚電のんびり旅もここで終わり。
可愛らしい銚子電鉄のおかげで、ローカル線への愛はますます強まるばかりです(笑)
さあ、次はどこへ旅しようかしら

2011.12.25

満願寺(千葉)・太平洋の見える寺(1)



再び銚子電鉄に乗り、犬吠駅へ。



こちらの犬吠駅で一日乗車券の特典である濡れ煎餅をゲット
駅から5〜6分ほど歩いて、坂道を上って行くと…。



満願寺が見えてきました。
坂東三十三観音霊場の第27番札所である飯沼観音・圓福寺の奥の院です。



「よく来たな!」



境内の建物は比較的新しいようですが、立派な石仏などが並び、なかなか見応えがあります。



本堂をぐるりと取り囲むように回廊が続いており、そこは四国霊場を模した小さな霊場になっていました。



迫力のある閻魔様です。
「巡礼・遍路する者は皆、極楽行き」
頼もしいっ



おやっ?
ビジュアル系のお遍路さんもいらっしゃいますね(笑)



建物内部からは周辺の景色が一望でき、遠くに犬吠埼灯台と太平洋が見えました。
参拝を終え、次は海へと向かいます。

(つづく)

宮田不動尊(群馬)・不動明王御開帳



群馬県のほぼ中心に位置し、上毛三山の一つに数えられる赤城山。
中央部のカルデラの周囲を1,200mから1,800mの峰々が取り囲み、その外側には緩やかな裾野が広がって、美しい景観を見せてくれます。
この山は古より霊山として崇められており、最高峰である黒檜山に赤城神社、山麓各地に里宮が建てられ、篤い信仰を集めてきました。



その赤城山のふもとにある渋川市赤城町宮田地区には、鎌倉時代に造られた石造の不動明王が守り伝えられています。
そしてこのお不動様は年に一日、1月28日の初不動の縁日にだけ御開帳されるのです。



千葉から早朝の電車を乗り継ぎ渋川へ。
そこからさらにバスに乗り換えて不動寺に辿りつきました。



急勾配の石段を手摺につかまりながら上って行くと…。



小さなお堂が見えてきました。
年に一度の御開帳日のため、堂内は既に沢山の人で溢れています。



ちょうど法要が始まったばかりでしたので、私もお堂の近くから参加させていただくことに。
建物内部を覗き込んでみると、奥に岩壁が見え、お堂は洞窟を取り囲むようにして建てられているということがわかりました。
30分ほどで法要は終わり、本堂の中にある階段を上ってゆくと…。

建物に覆われた洞窟の中には、白色の不動明王が堂々と屹立していたのでした。
(⇒渋川市観光協会の写真はコチラ)
像高166cmで鎌倉期の作。
凝灰岩を丸彫りした石仏で、国の重要文化財に指定されています。
丸く握った手の形から、かつては宝剣と羂索を握っていたことが推測できました。

比較的小さなお顔に対し、体躯はどっしりとして重厚感があります。
ちょうど腰の中央あたりに直線が走り、大きく像が二分されているのがはっきりと見えました。
調査の際、この分断された部分には上下それぞれ直径10cmほどの穴が開けられていて、中に曼荼羅などが収められているのが発見されたそうです。
さらに断面には墨書銘があり、1251年に現在の高崎市の領主・里見氏義が院隆と院快の二仏師に不動明王を刻ませ、この地に祀ったという内容が記されていることがわかりました。
厳しい忿怒相ながらも、このお不動様がどことなく優美な印象を与えるのは、中央の流れを組む仏師の作だからなのでしょう。

参拝者の列が仏前で蝋燭を灯し、不動明王に灯明を捧げてゆきます。
その厳かな光景を目の当たりにして、心が震えるようでした。
薄暗い洞窟の中、ゆらめく蝋燭の炎に照らされる明王の姿は、拝する者の心を捉え、圧倒してやみません。
木彫仏が主流の日本では大変珍しい、石造の不動明王がこの地で祀られたのは、すぐ近くにそびえる赤城山への信仰と深い繋がりを持っているのかもしれない、そう思いながら尊像を見つめていました。



参拝を終え、お堂の外へ。
高台に建つお寺の境内からは周辺の景色が一望できました。
美しい田園地帯の間を雄大な利根川が流れています。
神が宿るという赤城山と利根川に挟まれたこの高台の場所は、自然に深い崇敬の念を抱いていた古の人々にとって、特別な聖地だったのでしょうね。

2012.1.28