西導寺(京都)・藤原期の薬師如来



黄檗の萬福寺から20分ほど歩いて行くと、西導寺が見えてきます。



西導寺は創建を1436年にまで遡るという古刹ですが、お寺の創建よりさらに古い、藤原時代の仏像が伝えられています。



収蔵庫の中央にいらっしゃったのは、端正で美しい薬師様でした。



像高83.3cmで、藤原時代の作。
繊細な指先、わずかに伏せた眼差しは気品に溢れ、相当な力量を持った仏師の作であることがよくわかります。



こちらは凛々しい毘沙門天。
像高160.6cmで、同じく藤原時代の作と推定されています。



収蔵庫に並ぶ沢山の仏様たち。
西導寺は江戸中期には末寺7ヶ寺を有する大寺院であったそうですから、これらの仏様たちは元々は別のお寺で祀られていたのかもしれません。



西導寺参拝のあと宇治駅へ向かい、橋寺、平等院を参拝。
再び京都へと戻りました。
ここからはローカル線で三重へと向かいます。



京都→草津→柘植駅と乗り継ぎ、ここでしばし次の電車待ち。



柘植駅の片隅にはランプ小屋がありました。
ランプ小屋とは鉄道の照明用ランプや燃料等を収納していた倉庫のことで、明治期に多く建設されましたが、現存しているものは全国的にも数少ないそうです。

夜が深まり、辺りは真っ暗になりました。
周辺から一斉にカエルの鳴き声が聞こえてきて、まるでオーケストラのよう…。
その鳴き声に包まれながら、じっとホームのベンチに腰掛けていると、漆黒の帳の中でふわふわと漂っているような、不思議な感覚を覚えました。
普段街中で暮らしているとなかなか味わうことのできない、夜らしい夜です。



さあ、亀山駅で最後の乗り換え。
いよいよ津へ到着です。
念願の伊勢のお寺巡りが始まります

2012.4.28
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萬福寺(京都)・笑う布袋様

数年ぶりに宇治市の萬福寺を参拝しました。



黄檗宗の大本山である萬福寺は、1661年に隠元によって開創されました。
隠元は中国出身の禅僧で、江戸初期の禅宗界に多大な影響を与えた人物です。
彼は禅の教えの他にも、様々な文化をもたらし、インゲン豆を日本に伝えた人物であるとも言われています。



境内の建物や庭は明文化の影響を色濃く受けており、一般的な日本のお寺とは違った外観を見せてくれます。
回廊の床や天井は、整然と並ぶ幾何学的な模様で装飾され、あたかも異国のお寺を歩いているような気分になりました。



大きなお魚!
こちらは開版といい、時を報ずるために使われるものなのだそう。
木魚の原型とも言われています。



そして萬福寺と聞いていつも思い出すのが、天王殿の布袋様。
こちらのお寺では、布袋様は弥勒菩薩の化身とされており、お堂の中心に堂々と坐っていらっしゃいます。
この個性的な尊像は、来日していた明の仏師・范道生によって造られたそうです。
にっこりと笑う大らかなお姿を拝していると、はるか彼方にある大陸の風が吹き込んでくるのを感じるようでした。



2012.4.28

大善寺(京都)・お地蔵様の街

京都を旅して電車に乗っていると、「六地蔵」という駅名をよく耳にします。
六地蔵駅は市営地下鉄、京阪、JRが乗り入れるターミナル駅で、私も過去に何度か乗り換え等で利用しました。

六地蔵というからには、お地蔵様がお祀りされている寺があるに違いない。
その駅名を聞くたび、いつも気になっていました。
そして最近、六地蔵駅の由来が大善寺というお寺であることを偶然知り、そのお地蔵様に会いに行くことにしたのです。



晴天の空の下、京阪の六地蔵駅から歩いてお寺へ向かいました。



こちらが大善寺。
京の人々から「六地蔵さん」と呼ばれ、古くから篤い信仰を集めてきました。
伝承によると、852年に小野篁が夢のお告げにより六体の地蔵菩薩を刻み、お祀りしたのがお寺の始まりと伝えられています。
後の1157年、後白河天皇が都街道の六ヶ所に六角堂を建立した際、六体のお地蔵様は一体ずつ分置してお祀りされるようになったのだそうです。



現在も境内には六角堂があり、お地蔵様がお祀りされています。
中を覗いてみると…



色白の見事なお地蔵様がいらっしゃいました。
色鮮やかなお姿のため、一見すると新しい像のようですが、これは近年の修復によるもので、なんと造像は平安時代とのこと。
彩色が施されていない衣の部分を見ると、かなり古い時代の造像であることがよくわかります。



お寺近くの路傍のあちこちで、石仏のお地蔵様を見つけました。
まさにお地蔵様の街です。



綺麗なお召し物を着て、とっても嬉しそう!
こうして街中で大切にされている石仏にお会いすると、何だかほっこり気分になりますね

2012.4.28

法性寺(京都)・千手観音特別公開

今回の旅の目的地を京都に決めたのは、数年来ずっと憧れ続けてきた仏像の特別公開が行われることを知ったからでした。



京都市東山区の法性寺。
929年に藤原忠平が建立した藤原家の氏寺であり、往時の寺領は現在の東福寺や泉湧寺、さらには東山にまで及ぶほど広大であったという古刹です。
そしてこの法性寺の本尊こそが、国宝・千手観音立像。
ここ数年、尊像の拝観は中止されていましたが、今回の京都春季非公開文化財特別公開で一般公開されることを知り、迷わず京都へと向かいました。



10時過ぎにお寺へ着いたところ、境内は既に沢山の参拝者でいっぱいでした。
国宝仏を祀るお寺としては意外なほどこじんまりとしており、混乱を避けるため、まずは入口横の部屋で拝観の順番を待つこととなりました。
やがて順番が巡ってきて、私も堂内へ入れていただくことに。



中に入ると、中央の厨子に憧れの観音様が佇んでいらっしゃるのが見え、思わず息を飲みました。
尊像の像高は110cm。
桜の一木造で、10世紀頃の作と推定されています。
全国的にも珍しい二十八面の千手観音像として有名で、遠目からでも、頭上の化仏が大きく盛り上がっているのがはっきりとわかりました。
小さなお体ながらも均整がとれており、藤原家の氏寺に相応しい、非常に優美で洗練されたお姿でした。

憧れの観音様に一目でいいからお会いしたい、ここ数年、どれほど願ってきたことでしょう。
ほんの短い時間ではありましたが、ずっと憧れ続けてきた尊像の前で過ごした時間は、忘れ難い想い出となりました。

2012.4.28

六道珍皇寺(京都)・冥界の入口

京都市東山区にある六道珍皇寺は、とある不思議な伝説が残されていることで有名なお寺です。
その不思議な伝説というのは…



平安の昔、夜な夜な六道珍皇寺の境内にある井戸の中へと消えてゆく男がいました。
その男の名は小野篁。
かの有名な小野妹子の子孫であり、自身も学者や歌人として活躍した才人でした。

でも一体なぜ井戸へ?

なんと彼は閻魔庁における第二の冥官で、境内の井戸を通じて、この世とあの世を自由自在に行き来していたというのです。
篁は昼に朝廷、夜には閻魔庁へ通うという、二つの顔を持っていたのでした…。



GWの特別公開で、この篁が通った井戸が公開されると聞き、数年ぶりに六道珍皇寺を参拝してきました。



こちらがその井戸。
夜な夜な篁が通ったという不思議な井戸は、本堂の中庭の隅にひっそりとありました。
六道珍皇寺の門前辺りは、冥界に続く六道の辻だとされていることから、現在も先祖の霊を迎える「六道参り」なる行事が行われているそうです。



今回の特別公開では、収蔵庫に安置されている本尊の薬師様の御開帳も行われていました。
頭部のみが平安時代の作で残りは後補ですが、違和感はほとんどなく、実に堂々としたお姿です。



境内の隅には沢山のお地蔵様たちがいらっしゃいました。
地獄における救済の仏として信仰されているお地蔵様。
冥界への入口があるというこのお寺に、とても相応しい感じがしますね。

2012.4.28

大悲願寺(東京)・阿弥陀如来御開帳

毎年4月21、22日は、あきるの市にある大悲願寺の阿弥陀三尊が開帳される日。
今年は御開帳日が土日にあたるということで、満を持して参拝してきました。



大悲願寺へは武蔵増戸駅から徒歩で20分ほど。



道すがら野菜の無人販売を発見!
思わずほっこり気分になります



やがて現れた美しいチューリップ畑の先に…



大悲願寺が見えてきました。
真言宗豊山派の寺院で、本尊は大日如来。
1191年の創建と伝えられ、江戸時代には幕府からの庇護を受けて繁栄を極めました。



今回御開帳されたのは、こちらのお堂でお祀りされている阿弥陀三尊像。
年にたった2日の御開帳日だけあって、堂内は多くの参拝者で賑わっています。
ドキドキしながら中央の厨子を見上げてみると、中には金色に輝く阿弥陀様が鎮座していらっしゃいました。
(あきる野市HPの写真はコチラ)

まず最初に驚いたのは、その華奢な体つきです。
やや面長なお顔立ちは柔和で、優美な女性を思わせました。
おそらく中央仏師の手によるものなのでしょう、衣文や螺髪の彫りはとても洗練されています。
参拝の列に私も並び、正面からお姿を拝した時、かくも美しい御仏がこの山間の地に伝えられたということに、不思議な驚きと感動を覚えました。



そうそう、境内で一生懸命掃除をしている小坊主さんにお会いしましたよ。
ちゃんと本物の箒を持っていて、とても可愛らしいですね

2012.4.22