蓮光院(三重)・二体の平安仏



伊賀方面から津市内へ戻り、津駅から徒歩で数分ほどのところにある蓮光院初馬寺を参拝しました。



蓮光院初馬寺は聖徳太子の開基と伝えられているお寺で、通称「津の初午さん」と呼ばれ、古より篤い信仰を集めてきました。
その通称名からもわかるように、本尊は馬頭観音ですが、平安期の如来像がお祀りされていることでも知られています。



事前にお願いをして、収蔵庫の仏様を拝観させていただくことに。



中にいらっしゃったのは二体の対照的な如来様たちでした。



こちらは平安後期の阿弥陀様。
寄木造で、像高は84.6cm。
滑らかな曲線を描くなで肩の体、柔和な眼差しに、いかにも藤原仏らしい優美さを感じます。



そしてこちらは金剛界の大日如来様。
一木造で、像高は89.4cm。
阿弥陀様よりも古様なお姿をなさっており、諸説あるものの、その造像は平安前期にまで遡る可能性があるとも言われています。
体躯はむっちりと肉感的で、表情も引き締まり、力強さを感じさせる尊像です。

対照的な二体の如来様たちは、かつては別々のお堂に安置されていたのかもしれません。
蓮光院は太平洋戦争の津爆撃で甚大な被害を受けたため、仏様たちも国宝修理所で修理を受けたのち、現在のお姿でお祀りされるようになったのだそうです。
数奇な運命を経てこられた御仏たちを拝し、厳かな気持ちで手を合わせました。

2012.4.30
スポンサーサイト

新大仏寺(三重)・快慶の大仏

伊勢と伊賀をつなぐ国道163号線は、古くから伊賀街道と呼ばれ、陸路の大動脈として重要な役割を担ってきました。
その伊賀街道沿い、伊賀市の富永というところに、新大仏寺があります。



新大仏寺は建長2年(1202年)、源頼朝により後鳥羽法皇の勅願寺として開創されました。
奈良東大寺の僧であった重源が開山であったことから、東大寺伊賀別当所として繁栄を極め、最盛期には南北六十丁、東西四十丁の広大な寺領と伽藍を有していたそうです。



そしてこの寺には、重源と非常に深い繋がりのあった、鎌倉時代の仏師・快慶の造った大仏が残されています。
快慶といえば、運慶ら慶派一門と共に、東大寺南大門の金剛力士像を造ったことで知られる天才仏師。
おそらく日本で最も著名な仏師の一人ではないでしょうか。
かつてこちらの大仏殿に祀られていた大仏様は、新しく建設された新大仏殿の方に移されていました。



こちらが新大仏殿。
中に入り階段を上がってゆくと…



正面には金色に輝く見事な大仏様がいらっしゃいました。
像高は約4m、蓮華座から光背までの総高は6mにも及びます。

現在お寺では盧舎那仏としてお祀りされていますが、もともとは阿弥陀如来として造られたとのこと。
頭部のみが快慶が造った当時のもので、その他は江戸時代の後補であるため、修復の際、印相などが変えられたのかもしれません。

そして驚くべきことにこの大仏様は、造像当初はなんと立像だったというのです。
坐像ですら4mにも達するのですから、当初の像高はおそらく7〜8m位はあったかと思われます。
その立ち姿たるや、さぞかし圧巻だったことでしょう。



お寺の方のご好意で、境内の岩壁にある不動明王の石仏も拝することができました。
岩屋不動として信仰を集め、東海三十六不動尊霊場の札所となっているそうです。
ジロリと前方を睨みつけるお姿はかなりの迫力ですね。



2012.4.30

宝厳寺(三重)・一木の十一面観音



長隆寺参拝の後、同じ伊賀市内にある宝厳寺へ。



こちらのお寺にお祀りされている、平安期の十一面観音立像を拝観させていただきました。



像高169.3cm。
古様なお顔だちや衣文などから、10世紀頃の作と推定されています。
かつては大村神社の神宮寺であった大村山禅定寺で祀られていましたが、明治期の神仏分離の際、こちらのお寺へと移されました。



ふっくらしたお顔は肉感的ですが、立ち姿はすらりと美しく、非常にバランスの良いお姿をなさっています。
その眼差しはどこか神秘的で、神仏習合の仏として信仰されたという、この観音様の歩まれた歴史を強く感じさせました。
金色に輝く水瓶(現在の持物はおそらく後補)を握っておられます。



参拝を終え、伊賀市内をレンタカーで走ってゆくと、道すがら美しい清流を見つけました。



田植えが終わり、やがて訪れる収穫の秋へと向かって、すくすくと育つ稲。
観音様の水瓶から放たれる清らかな水が、稲へ生命を吹き込んでゆく…。
五穀豊穣を願う古の人々が、豊かな実りをもたらす御仏へ篤い信仰を捧げてきたのは、ごくごく自然のことだったのでしょうね。

2012.4.30

仏像のはなし

日頃、仏像巡りが趣味だというと、
「なぜ仏像がそんなに好きなんですか?」
とよく聞かれます。

もちろんその度ごとに話をさせていただくのですが、私は上手く口で説明ができないため、いつも消化不良のような思いをしてしまいます。
もっときちんと説明したいのに、難しくてなかなか出来ない、歯がゆい気持ちになってしまうのです。
そういうわけで今日の日記はいつもと趣向を変えて、私が仏像を好きになったいきさつについて書こうと思います。
主観が強くなってしまう点も多いかもしれませんが、ご容赦くださいね。

私が初めて仏像に興味を持ったのは中学生の頃でした。
物心ついた頃から歴史や古いものが好きで、小学生の時には埴輪や土器を眺めていつも興奮していた、ちょっと(?)変わり者だった私。
そんな私が中学2年生になり、家族で奈良を旅行した際、斑鳩の法隆寺で衝撃的な出会いをしたのでした。

国宝・百済観音。
数多くの人々を魅了してきた、飛鳥時代を代表する美仏です。
全ての言葉を忘れさせてしまうほど美しい、深淵な微笑を浮かべるこの観音様は、それまで仏像に抱いていた「怖い」という私のイメージを完全に払拭させたのでした。

やがてもう少し大きくなった私は、自分で京都や奈良に出かけるようになり、様々な古寺を巡りだしました。
ただしこの時点までは、仏像の「美しいもの、歴史を感じさせるもの」といった魅力に惹かれていた傾向が強かったように思います。
そして私にとって仏像とは、「京都や奈良へ旅行してお参りする存在」であったのです。

転機になったのは4〜5年前のこと。
ふとしたことから偶然、美術評論家・丸山尚一さんの本をネットで購入した時からでした。
生涯をかけて日本各地の仏像を巡った丸山さんの本には、私が生まれ育った房総の古仏のことも紹介されていました。

自分の地元に古仏???
驚いた私は、その本に載っていたお寺を参拝することにしたのです。
房総の小さな港町にあるそのお寺では、藤原期の薬師如来様がお祀りされていました。

まず印象的だったのは、その素朴な美しさでした。
お顔はぷっくりとして、眼差しは優しげ。
一木造の体躯は、まさに一本の巨木のようにどっしりとして、大らかで、一目お姿を拝するなり、その魅力に惹きつけられました。
この仏像には京都や奈良で造られた仏像のような洗練された雰囲気はない、でも人の心を魅了する何かがある。
そう確信したのでした。
そして何より新鮮だったのは、自分が生まれ育った故郷に、何百年も守られてきた仏像があるということでした。
その事実を知った時、今まで見慣れていたはずの風景が、急に色鮮やかなものに感じられてきたのです。

やがて私は丸山さんの本を頼りに、各地のお寺を巡り始めました。
そして日本全国を旅してゆくうちに、強く意識するようになったことがあります。

仏像はそれぞれに物語や歴史があり、その土地の文化や風土を強く映し出していること。
たとえ国宝や重文に指定されていなかったとしても、大切に信仰されてきた仏像には、独特のオーラのようなものがあること。
そして仏像には、必ずそれを守っている人がいるということ…。

二千年以上も昔に遠いインドで生まれた仏教は、長い時をかけて伝播するうちに、様々な他教の神や信仰を取り込み、文化を吸収し、多様な広がりを見せながら日本へと伝えられました。
そうして伝来した仏教はこの国においても、ある時は日本古来の神や信仰と一体となり、神仏習合という新たな形をとりながら、各地の文化や風土との融合を遂げていったのです。

四方を囲む海、緑あふれる山々、鮮やかな変化を見せる四季…。
日本人にとって、神や仏への信仰と豊かな自然とは、切っても切り離せない関係でした。
五穀豊穣への願い、そして恵みをもたらした神や仏への感謝。

仏像が単なる木や石以上の存在になるのは、それを守ってきた人々の信仰、その土地の暮らしや文化を仏像が纏っているからなのだと思います。
そして仏像を拝し、何百年もかけて仏像が纏ってきた物語を肌で感じる時、私はもうただひたすら圧倒されてしまうのです。
今も夢中になって全国を旅しているのは、その感動を求め続けているからに他なりません。
おそらく生涯をかけて仏像を追い続けてゆくのでしょうね。

長隆寺(三重)・二体の如来像

津市内を出発し、レンタカーで三重県の内陸部へ向かいました。



窓の外に広がる長閑な田園風景。
近くには川が流れ、この一帯が豊かな穀倉地帯であることがわかります。



やがて伊賀市の森寺という集落に辿り着きました。



集落の奥へと続く坂を上ってゆくと、立派なお堂が見えてきます。
今回の目的地である長隆寺です。



事前にお願いをして、収蔵庫に安置されている尊像を拝観させていただくことに。
ドキドキしながら中をのぞいてみると…



青い幕の奥に静かに坐っていらっしゃったのは、藤原期の薬師如来様でした。



桧材で、像高は約90cm。
彫りの浅い衣文、柔和なお顔立ちに、いかにも藤原仏らしい特色がよく出ています。
その表情はどこか人懐っこく、おおらかで、拝する者をふんわりと包み込んでくださるようでした。
かつて体全体を覆っていたであろう金箔は剥げ落ち、木肌に塗られた黒い漆があらわになっており、ブロンズ像のような艶やかな光沢を放っていました。



こちらは本堂に安置されている胎蔵界の大日如来様。
桧材で像高は約143cm、平安後期の作と推定されています。
力強く、男性的。
体の中からパワーが溢れ出て来るようです。

お堂を開けてくださった地元の方から、お寺や仏像にまつわる色々なお話を聞かせていただき、とても貴重な時間を過ごすことができました。
長隆寺の対象的な二体の如来様たちは、何百年もの間、このような森寺の方々に大切に守られてきたのでしょう。
地元の皆様、その節は本当にありがとうございました

2012.4.30

お知らせ

おかげ様で2年以上続けてきた仏像ブログ。
当初は細々と更新していましたが、皆様から声をかけていただくことが多くなり、とても励みになっています。

旅した都道府県の数は20を超え(ブログ開始以前も含めると、もう少し数は増えますが…)、改めて記事を読み返してみると、それぞれの想い出が蘇り、非常に感慨深い思いになります。
以前は少しでもわかりやすいように、主に参拝した各都道府県ごとにカテゴリーを分けていたのですが、ついにその数がgooブログで登録できるカテゴリー数30を超えてしまいました…。

やむを得ず、今後は近県のお寺をまとめて一つのカテゴリーに入れることにしようと思います。
わかりにくくなってしまい、大変申し訳ありません。
どなたかgooブログを利用なさっている方で、解決法をご存知の方がいたら是非アドバイスをお願いいたします(笑)

そして「目指せ、全都道府県!」
まだまだ道程は長いですが、頑張って更新してゆきますので、よろしければお付き合いくださいね

石山観音公園(三重)・めくるめく石仏ワールド

早朝に津中心部を出発し、レンタカーで石山観音公園へと向かいました。



石山観音は一つの巨大岩に大小約40余りの磨崖仏が彫られているという、日本屈指の磨崖仏群です。



現在、磨崖仏群のある一帯は公園として整備され、気軽に石仏巡りができるようになっています。
石仏ファンにとっては夢のテーマパークと言えましょう(笑)



早速、入口のすぐ近くに仏様が見えてきました。
如意輪観音様でしょうか。



こちらは素朴な顔が可愛らしいお地蔵様。
像高はなんと3.24m。
室町初期の作と考えられており、県の文化財に指定されています。



さあ、山道を上ってゆきます。
公園として整備されているとはいえ、道は細く急勾配で、普段全く運動をしない身には結構ハード…。



敷地内には大小様々な石仏が彫られており、ふとした所で石仏を見つけると、思わずほっこり気分になります。



やがて「馬の背」と呼ばれるむき出しの岩壁に辿りつきました。
ゴツゴツとした岩壁を上っていると、この山全体が一つの巨岩なのだということが改めて実感できます。



写真だとわかりにくいのですが、岩壁には大小様々な石仏が彫られており、危険を顧みず尊像を彫った仏師の篤い信仰心を感じました。



岩壁に彫られた階段。
彫るのにどれほど時間がかかったことでしょう。



さらに先を行くと、巨大な阿弥陀様が見えてきました。
身の丈3.52m、台座も含めるとなんと像高は5mにも達するそうです。
こちらも室町初期の作と推定されており、県の文化財指定を受けています。

山道で足腰がガタガタになりながらも、公園内をぐるりとまわり、再び入口へ。
それにしても一体何故、これほどまでの磨崖仏群がこの地に彫られたのか。
かつてこの地にあった真言宗寺院の別院が造立に関わっているとも言われていますが、詳しいことは分かっていないようです。

歩いてきた険しい坂道を振り返り、磨崖仏に秘められた謎に思いを馳せたのでした。

2012.4.29