大光院(宮城)・あせかき阿弥陀

東北旅行の三日目は、レンタカーで宮城県と福島県を巡りました。

変換~P1120451

まず最初に訪れたのは柴田町の大光院。
とても不思議な仏様が守り伝えられていることで有名なお寺です。

変換~P1120462

立派な収蔵庫の中にいらっしゃったのは…

変換~P1120469

その名も「あせかき阿弥陀」様。
東北地方では珍しい鉄製の仏像で、文永三年(1266年)造像の銘が残されています。
像高はいずれも80cmほどでしょうか。
仲良く並んで座ってらっしゃるお姿を拝していると、自然と笑みがこぼれます。

阿弥陀如来と呼ばれていますが、造像当初は五智如来として造られたようです。
現存するのは四体で、昔話によると、この地の長者が娘のために一体を娘の身代わりに供養し、難を逃れたのだと伝えられています。
この如来様たちは、村に異変があるときは全身に汗をかいてその徴を知らせるとされ、そのことから「あせかき阿弥陀」と呼ばれて、篤い信仰を集めることとなりました。
かつては船迫の阿弥陀堂の本尊でしたが、そのお堂が朽ちたため、昭和期に入ってからこの大光院へと移されたそうです。

お地蔵様のような赤い頭巾や胸あてが可愛らしく、今も大切に守られていることがよくわかりますよね。

2013.5.13
スポンサーサイト

出羽神社(山形)・山岳信仰の聖地

5月12日の早朝、山形市内からレンタカーで出羽三山へ。

変換~P1120065

出羽三山は山形県庄内地方の月山・羽黒山・湯殿山を指す総称で、この一帯では古くから修験道を中心とした山岳信仰が盛んに信仰されてきました。
標高の高い月山には雪が残り、まだ山開きが行われていなかったため、一年中お参りをすることが可能な羽黒山を訪れることにしました。

変換~P1120076

こちらは随神門。
この門は元禄年間に秋田矢島藩主より仁王門として寄進されましたが、明治の神仏分離の際、随身像を祀り随神門と名づけられたそうです。
ここより羽黒山の神域となります。

変換~P1120092

見渡す限りに広がる杉並木。
前日より降り続いていた雨のため、あたりには靄がかかっており、それがかえって深淵な雰囲気を生み出していて、ここが山岳信仰の聖地であるということを強く実感させてくれました。

変換~P1120133

随身門をくぐって10分ほど歩くと、突如として巨大な五重塔が見えてきました。
古くは瀧水寺の五重塔と言われ、周辺には多くの寺院があったそうですが、今はこの五重塔だけが杉並木の間に建っています。
現在の塔は文中年間(約600年前)に羽黒山の別当であった武藤政氏によって再建されました。

変換~P1120143

さあ、ここからは長い長い石段が続きます。
なんとこの石段、全部で2,446段もあるそうです。
しかもミシュランのグリーンガイドで三ツ星を獲得しているとのこと。
期待で胸を膨らませながら、一歩一歩と上り始めました。

変換~P1120188

時間とともに更に靄は濃くなり、もはや数十メートル先も見えないほどです。
前に進むにつれ、白い世界に吸い込まれてゆくような、不思議な感覚を覚えました。

変換~P1120174

息を切らせて20~30分ほど上ってゆくと、小さなお茶屋さんがありました。

変換~935

お団子と抹茶で一休み。
そしてこのお茶屋さんを訪れたのにはもう一つ理由があります。

変換~936

それがこちら、羽黒山の参拝認定証です。
お店の方にお願いをすると名前入りで発行していただけます。
他にお客さんがいなかったこともあり、お店の方とお喋りしながら休むことしばし。
すっかり疲れも取れて、再び石段を上り始めました。

変換~P1120202

お茶屋さんから更に30分ほど歩くと、ついに赤い鳥居が見えてきました。

変換~P1120220

こちらは出羽神社の三神合祭殿です。
出羽三山の月山・湯殿山は遠く山頂や渓谷にあるため、冬季はこちらの三神合祭殿で三山にお参りすることができます。
現在の社殿は文政元年(1818)に完成したもので、なんと当時工事に動員された大工、職人を合わせると、その人員はなんと55,416人に達したそうです。
そのほかにも手伝人足が数万人いたといいますから、その桁外れの豪華さがよくわかります。

変換~P1120239

そして今回一番楽しみにしていたのが、こちらの宝物館。
出羽三山では明治期の廃仏毀釈を受け、数多くの文化財が散逸してしまいました。
この宝物館では、私財を投じてそれらを収集した地元の名士・佐藤泰太良氏のご子孫が奉納した文化財が展示されています。

注目すべきは出羽地方を代表する貴重な仏像群です。
ガラスケースの中に所狭しと並んでいるその様子は圧巻の一言に尽きます。
(⇒博物館HPはこちら)
寄贈された仏像は全部で243体に達するそうですが、展示されているものだけでも100体近くあるのではないでしょうか。
小さな像が中心ですが、中には非常に端正な像が含まれており、出羽地方の文化水準がいかに高かったかが実感できます。
仏様たちが廃仏毀釈の困難な時代を乗り越え、こうして大切に守られてきたことを考えると、とても感慨深い思いがしました。

変換~P1120276

参拝を終え、再び石段を通って下ってゆきます。
しだいに靄は晴れ、ふと後ろを振り返ると、長い長い石段がくっきりと杉並木の間に伸びているのが見えました。

2013.5.12

吉祥院(山形)・一木の平安仏

変換~P1110813

山形市にある吉祥院は、天平年間に行基が創建したと伝えられる古刹です。
歴代の武将からの篤い帰依を受けて栄え、江戸期には最上三十三観音巡礼札所の札所として、庶民からも人気を集めました。

そしてこのお寺で特に有名なのが平安期から伝わる仏像群です。
拝観のお願いをして収蔵庫へ入れていただくと、中央の厨子いっぱいに、大きな三体の仏様がいらっしゃるのが見えました。
向かって左側から、阿弥陀如来・観世音菩薩・薬師如来。
像高は等身大より少し大きいくらいでしょうか。
平安時代の作と推定されています。

いずれも一木造の像ですが、中でも阿弥陀如来のボリューム溢れる腰つきは特に印象的でした。
極端に腰の位置が高いのは、木の節をそのまま生かして彫られているからなのかもしれません。
中央仏師が造った仏像のような華やかさはないものの、吉祥院の尊像には素朴な美しさが感じられます。
樹齢数百年はあるであろう巨木が彫りあげられ、慈悲深い阿弥陀如来が具現する様は荘厳で、尊像を拝していると、大自然に神や仏が宿ると考えていた古の人々の篤い信仰心が伝わってくるようでした。

尊像を彫ったのは仏師ではなく、山岳信仰の僧侶であったのではないか。
素人ながらにそう思うほど、厨子の中には濃密な空間が広がっていました。

変換~P1110824

2013.5.11

慈光明院(山形)・上品中生の阿弥陀如来

変換~P1110741

山寺の御開帳にあわせ、山形市にある慈光明院を訪ねました。

お寺はJR山形駅からも程近い街の中心部に位置していますが、カーナビが示すあたりを何度往復しても、なかなか見つかりません。
レンタカーをコインパーキングに停め、大通りを歩いて行くと、仏具店の横に小さな入口があるのにやっと気が付きました。
目指していた慈光明院です。

変換~P1110707

事前にお願いをして、ご本尊を拝観させていただくことに。

変換~P1110714

中にいらっしゃったのは、珍しい上品中生の印を結ぶ、鎌倉期の阿弥陀様でした。

変換~P1110717

桧材の寄木造で、造高87.3cm。
目には美しい玉眼をはめています。
胎内に寛元5年(1247)丁未云々の墨書銘が残されていることから、造像もほぼこの頃と考えられています。
もとは寒河江市の慈恩寺禅定院の本尊でしたが、昭和になってから山形市へと招来されたそうです。

由緒あるお寺伝来の像だけあって、お顔は気品に溢れ、体を覆う衣文の彫りも流麗で、かなりの力量を持った仏師の作であるということがよくわかります。
堂内には本尊の他にも大小さまざまな仏像が安置されており、お寺の方から詳しくお話を伺いながら、時間を忘れて見入っていました。

2013.5.11