高野山 壇上伽藍(和歌山)・薬師如来御開帳

慈尊院参拝のあとは、7~8年ぶりに高野山へ向かいました。

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紀の川の流れに沿うように国道をゆらゆら進むと、やがて道は急こう配になり、高野山の懐へと入っていくのがわかりました。

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道はさらに曲がりくねり…。

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ついに高野山の中心部へ。

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さすが世界遺産の街だけあって、コンビニも和風な造りで、景観を損なわないように出来ています。
海外からの関心も強いのか、歩いていると周囲から外国語が頻繁に聞こえてきました。

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高野山は言わずと知れた日本屈指の真言密教の聖地で、弘仁7年(816年)に空海が嵯峨天皇からこの地を賜り、伽藍を建立したことに始まります。
開創以来、皇族や有力武将など、名だたる権力者たちから篤い帰依を受け、千年以上もの長きにわたって法灯を守り続けてきました。
最盛期には高野山域には数千もの堂宇が建ち並んでいたとも言われており、現在でも数十もの塔頭が点在していることから、まさに山全体が宗教都市のような様相を呈しています。
そしてその中心となるのが壇上伽藍と呼ばれる一連の堂宇です。
これらは空海が存命中に建立を開始したと伝えられていますが、過去に幾度か焼失を繰り返しているため、現在の主な堂塔は江戸時代後期から昭和時代に再建されました。

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2015年は高野山の開創からちょうど1200年にあたるとされ、特別に御開帳や法事などが多く執り行われました。
私が今回再訪した主な目的は、この壇上伽藍にある金堂の御本尊・薬師如来坐像が初めて御開帳されることを知り、ぜひとも拝観したいと思い立ったからです。

金堂の前には大きな回向柱が3本建っており、堂内から伸びた五色の紐が結び付けられていました。
紐が伸びる先を目で辿ってゆくと、お堂の奥に御本尊が安置されているのが見えましたが、残念ながら距離があり、詳しい像容はわかりませんでした。
この尊像は昭和初期に金堂が再建された際、かの有名な高村光雲によって造られたそうです。

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御本尊をお参りした後は、歩いて数分のところにある霊宝館へ。
ちょうどこの時、運慶作の国宝・八大童子立像も特別公開されていました。
これまでに何度か拝したことがありますが、その見事さに毎回圧倒されます。

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あらら!
霊宝館の近くのベンチに居眠り小坊主さんがいらっしゃいました。
木魚を叩いている間に寝落ちてしまったのかしら。
可愛らしい小坊主さんを眺めながら、私もベンチに座って一休みしました。

2015.4.17
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慈尊院(和歌山)・弥勒仏御開帳

叡福寺参拝のあとは、河内長野市の観心寺へ。
4月17日と18日の年に二日だけ開帳される国宝・如意輪観音像を5年ぶりに拝しました。
妖艶な如意輪観音像に魅せられた後は、国道371号線を通って南下し、和歌山県へと入りました。

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やがて見えてきたのは美しい紀の川です。

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この紀の川が高野山の麓を流れるあたり、和歌山県の九度山町というところに、女人高野と呼ばれる慈尊院があります。

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慈尊院の創建は、弘仁7(816)年に弘法大師が高野山参詣の表玄関として、この地に伽藍を草創したのが始まりと伝えられています。
そこへ弘法大師の母君である阿刀氏が、我が子を一目見ようと香川県の善通寺より訪ねてこられました。
しかし当時の高野山は女人禁制であったため、阿刀氏は高野山に入ることができず、ここで暮らしながら弥勒菩薩を篤く信仰していたそうです。
弥勒菩薩の別名が「慈尊」であることから、やがてこのお寺は慈尊院と呼ばれるようになりました。
阿刀氏は入滅の後、弥勒菩薩に化身したと信じられ、慈尊院は女人結縁の寺として篤い信仰を集めたのでした。

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今回のお目当ては数年ぶりに開帳される、本尊・弥勒仏の御開帳です。
通常は21年に一度の開帳ですが、今年は高野山開創1200年にあたるということで、特別に公開されました。
前回の御開帳時には参拝できなかったため、期待に胸が膨らみます。

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本尊の弥勒仏は弥勒堂と呼ばれる、小さなお堂にひっそりと安置されていました。
像高91cmで一木造。
平安時代初期の作で、国宝に指定されています。
尊像まで距離があったことと、かなりの晴天だったために堂内がかえって暗く見え、残念ながらおぼろげな輪郭しかわかりませんでした。
それでも長年ずっと憧れ続けてきた秘仏を実際に拝したときは、感慨で胸がいっぱいになりました。

2015.4.17

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叡福寺(大阪)・聖徳太子の御廟

平成27年4月17~18日の二日間、関西のお寺巡りをしてきました。
まず一日目は、大阪の観心寺の御開帳、そして開創1200年を迎えた和歌山の高野山へ行ってきました。
大阪市内でレンタカーを借り、河内長野市へ。
車を軽快に走らせていると…

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あれっ?
もしかして聖徳太子の飛び出し坊やっ???
慌てて道を戻り、車を停めて付近を歩いていると、あっちにもこっちにも、可愛い飛び出し太子がいらっしゃるではないですか。

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しばらく行くと、見るからに格式の高そうな、立派なお寺の仁王門が目の前に現れました。
太子町の磯長山 叡福寺です。

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中には見事な仁王様たちがいらっしゃいました。

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叡福寺は聖徳太子の墓と伝わる叡福寺北古墳があることで有名な古刹で、奈良時代に聖武天皇によって創建されたと言われています。
歴代の天皇や権力者から篤い帰依を受け、現在国の重要文化財に指定されている聖霊殿は、慶長年間に豊臣秀頼が建立したそうです。

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こちらは多宝塔。
承応元年(1652年)の建立で、同じく重要文化財に指定されています。

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境内の奥へと進んでゆくと、菊の御紋のついた立派な御廟が現れました。

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この奥に聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳があり、宮内庁によって厳重に守られ、一般には立ち入りが禁止されています。
古墳は約直径55メートルの円墳で、中央に太子の母である穴穂部間人皇女、東に聖徳太子、西に太子の妻である膳部菩岐々美郎女が葬られているそうです。

偶然こちらのお寺の存在を知りましたが、静謐な空気の漂う素晴らしい古刹で、ご縁を与えてくれた飛び出し太子に感謝することしきりでした。

2015.4.17

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
昨年は例年と比べると、仏像巡り、 ブログの更新等が思うようにできなかったので、今年はもっと頑張りたいと思っています。
ブログを見てくださっている皆様、いつも本当にありがとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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